FILE 69

 【 戯場樂屋圖會拾遺 抄 】

『戯場樂屋圖會』の内 人形浄瑠璃関連の部分を抄出した。

『浪速叢書 第十五 演芸 p151-285』および 『歌舞伎の文献・5戯場樂屋圖會』を参照した。
原本画像は国会図書館古典籍資料50-126コマに掲載されている
丁付([ ]内数字)は歌舞伎の文献5にしたがった。
図は浪速叢書版による。
目録に未掲載の項は( )にて補った。抄出の部分はハイパーリンクで示した。
合印の一部は「○」で代用した。


解題 (浪速叢書版)
一 『戯場樂屋圖會』四冊、詳しくいへば、『戯場樂屋圖會』上下二冊、『樂屋圖會拾遺』上下二冊である。正篇の上が序文複丁などがあって実際は二十丁、同下が二十三丁、拾遺の上が序文とも三十五丁、同下が三十四丁、都合一百十二丁の仙過紙大本である。
一 『戯場樂屋圖會』附録別冊を、この外に発行した旨を、その『拾遺』上巻の凡例に著者は記してゐるが、右は全く未発行に終つたものである。
一 『戯場樂屋圖會』の著者は、画工の松好斎半兵衛で、正篇は寛政十二庚申年(我が2460西暦1800)の上梓、拾遺は享和二壬戌年(我が2462西暦1802)の発行にかかるものである。拾遺の方には、筆工として浅野高蔵の名がゐる。板元は大坂心斎橋橋通北久太郎町塩屋長兵衛であるが、往往にして、黒肉で『八文字屋八左衛門』の八字を、塩屋長兵衛と並べて捺した本を見ることがある、恐らく蔵版は塩屋長兵衛で、八文字屋が発売したことがあるのであらう。
一 『戯場樂屋圖會』型の類書を集めてみると、随分数多くあるが、この種の先駆をなした出板は、寛政三年(我が2451西暦1791)の『羽勘三台図絵』である。この書は『和漢三才図会』を、江戸三座の 戯場に擬へ、羽勘は『市村羽左衛門』『中村勘三郎』を利かした『和漢』の洒落である。著者は朋誠堂喜三二の道陀楼主人で、書工は、蘭徳斎である。この『羽勘三台図絵』が、いたく人気に投じたので、その刺戟をうけて出たのが、寛政十二年(我が2460西暦1800)の曲亭馬琴の『戯子名所図会』三冊で、画工は歌川豊国である。喜三二の黄表紙畑から出た洒落落の『羽勘三台』を、衒学的にこぢつけたのが、この馬琴の『名所図会』である。これに次いで、式亭三馬が、享和三年(我が2463西暦1803)に、同じく『戯場訓蒙図絵』三柵を著はした。画工は勝川春英、歌川豊国であるが、かく当時の創作界の大立者の三人まで、同じやうな雑著に筆を執つてゐるのが、興味を惹く。且つ今日これらの三著書を比較すると、各自の個性が、ハツキリと現はれてゐるのが面白い。そしてこの三書のあとをうけて出板された楽屋図会型の類書は
  篁竹里撰 歌川豊国画 絵本戯場年中鑑 参冊
    享和三癸亥年(我が2463西暦1803)発行 江戸浜松屋幸助 蔦屋重三郎合板
  八文字屋自笑(?) 増補戯場一覧 四冊
    寛政十二庚申年(我が2460西暦1800)発行 浪花八文字屋八左衛門梓
  黙々漁隠著歌川国貞画 劇場一観顕微鏡 四冊
    文政十三庚寅年(我が2490西暦1830)発行 大阪河内屋太助 野田七丘衛合板 などである。このうちで『戯場年中鑑』は、何故か、発行禁止となつた筆禍書である。『戯場一覧』は便利な書物であるが、その第一巻は『役者大全』の挿画のみを、そのままに採用してゐるなどの、八文字屋既刊書の板木を寄せ集めたものだ。『顕微鏡』は後に、そのまま『戯場漫録』と改題して発售してゐる。
一 『戯場樂屋圖會』は、その類書が、上に述べたが如き間にあつて、松好斎の筆になるだけに、浪速戯場の特色がよく現はれてゐるのと、操の舞台と楽屋とが、その拾遺に収録されてゐるのとが、この書の持つ力強い特色であつて、この叢書の演芸篇に収録した所以もここにある。
一 『戯場樂屋圖會』の著者松好斎半兵衛は、大坂島之内清水町に住つてゐた浮世絵師で、役者似顔画に巧みであつた。著書としては、『樂屋圖會』の外、数多伝はつてゐるが、その伝は伝はらない。
一 『戯場樂屋圖會』の翻刻にあたつて、原本は、当刊行会の相談役南木芳太郎氏の所蔵本を用ひた。(石割松太郎記)


 

[091] 戯場樂屋圖會 三

[092] (白紙)

[094]
[093]
[096]
[095]
 
[097]
 

[098]
凡例
一 此書ハ、操の一覧に限らず、たゞ両芝居(りやうしハゐを)合(あハ)して舞台の名目・楽屋の様子を委しくあらハす。但し、文中いたって俗に書つゞりたれハ、小女童子も恵(さとし)安きをもつて肝要とす。ゆへに、四方(よもの)君子・粋人も半畳を打込ず、悪口(やり)を入るゝことなかれ。
一 浪花(らうくは)をはなれ、遠国(とをくに)の芝居のことハ無用のものたりといへども、好人(こうじん)の目を悦ばしめんのミにして、宮嶋乗込、田舎芝居等なり。
一 楽屋の部におゐては、立者衆中の部屋・衣裳方・床山・道具方などハ初編に文をもつて記せり。こゝに載するハ文義を略して、たゞ■(かほ)のこしらへ・衣しやう・道具・鬟(かづら)にいたるまて、狂言のすじ、役々にて用る処をあらハす。

[099]
一 附録壱冊ハ、劇場一覧をはなれ江南名物名所こと/\く出だせり。但し、東ハ天王寺、西なんば村、南すミよし、北長堀等にてかぎる。茶屋・置屋にいたりては一切図にあらハし、戯文をくわへて一興に備ふ。
  役者衆中、自筆の短冊ハ、名所遊行に応じて、其地の句をもとめてこゝにのする。見る人疑事なかれ。

[100]
楽屋圖會拾遺上之巻
目録
(源牛若丸浄瑠璃御前忍芝居之故事) 浄瑠璃操之発 道頓堀芝居細見之図 操舞台之図 傀儡師之語 歌舞伎監觴 白拍子之事 唐土勾欄之事 大歌舞妓表口細見之図 同舞台之図 浄瑠理作者 歌舞妓作者 竹本筑後掾之語 豊竹越前掾 浄瑠理繁昌之語 傀儡師之図 唐土勾欄之図 名目役割之事 (狂言作者) 近松氏画讃写 歌舞伎芝居舞台之名目 並ニ表口名目 外題筆法之事 操芝居舞台名目 浄瑠理三味線名誉人物之図

[101]
 座本廻り 招看板出シ寄初 乗込 大判成 内読 (図) 惣本読 (図) 荒立 (図) 人形拵 (図) 内稽古 (図) 通言 町触太鼓・田舎芝居 惣稽古 (図) 上下桟敷之図 茶屋桟敷懸暖簾之図 いろは茶屋暖簾之図 芸州宮嶋乗込之図 役者家名俳名替紋之図

 

[102] (白紙)

[103]
[105]
[104]
[104-105]
源牛若丸浄瑠璃御前忍
新古今
我恋は槙の下葉にもる時雨ぬるともそての色にいてめや
太上天皇

[106] 芝居故事(略)

[107]
浄瑠璃操 浄瑠璃操の元ハ織田信長公の侍女小野小通といふ女あり。容顔美麗にしてことに秀才の人なり。信長公生害の後秀吉公の簾中につかふ。其むかし、紫式部石山におゐて源氏物語をつくりたまへり。其例にならひて、三河の国矢矧浄瑠璃姫が由ゑんを十二段の物がたに作られけり。

 此物語の趣意を見るに三河国矢矧の長者といふもの、一子なき事をうれいし、同国碧海郡峯の薬師に立願して[鳳来寺をいふ]一人の娘をもふく。薬師瑠璃光のさづけたまへる子なれハ浄瑠璃御前と名づく。時に左馬頭義朝の末子牛若丸(しやなわう)どの鞍馬山におハせしに、父義朝の仇平家をほろぼし源家一統の御代になさんと、ころは承安二年二月二日のあけぼのに山をひそかに立出て、三条の長者金売吉次をかたらい、奥州伊達の秀衡をたのミとしてかの地に下向ある。その時、矢矧の長者が元に宿りたまふに、かの浄るり御前に忍て契りたまへり。そのゝち奥州に下りたまふ。下略

○ 薬師瑠璃光如来十二神将の縁をかたどり、此物がたりを作られけり。平家ものがたりハ信濃の前司行長入道が作にして、生仏といふ法師に是を教へてふしをつけ、琵琶に合せて語らせけり。是に例して、岩船検校といふ琵琶法師に音曲の名人あり。此十二段に節をつけたり。又、角沢・瀧野の両検校三味せんに合せて曲節をかたりひろむなり。天正年中薩摩次郎右衛門
(112へ)


[109]
[108]
[108]
道頓堀蛭子橋より東を見る図
星移り物かわりて、中古出羽殿近江さまと言しも、芝居も時計ミせも跡なく、浄るりハ東西入まじり、立慶の名ハ銭屋まんぢうに面影を残し、四阿作りのいろは茶屋も二階たてとかわりしハ、角の芝居の浜よりぞ、割子ハ和国やの仕出し弁当に始り、切鮓ハ堺吉の小倉より今に此川たけに繁昌す。かハらぬは芝居の名代と顔見せの蛎雑水、大正のうなきの香ハ芝蘭よりかんばしく、雲井にけふる南草にハ高台の昔
[109]
しのばし、されハ義経弁慶も今ハやゝふりて、北条佐々木が目さましき勢ハ近松半吾が文花より出で、絵本大閤記を右にし左にしてハ当時の人気の請をとる作意の発明なり。見物群集の山かづらひく頃より所せき大入ハ、ま事に浪花の繁花は江南にあり、江南のにぎはひハ芝居にとゞめたり。
梅の津や花も芝居も南より  右 酒屋隣

[111]
[110]
[110]
操舞台名目
見附のふすまハ一二まひはづしたる心にて舞台のうしろを見せんがためなり、其心にて見るべし
浄瑠璃床 出語座 大臣はしら ぶたいうしろまく ふすま通り 本手 二の手
[111]
ひらき 大臣はしら 花道開 橋がゝり 三の手 花ミち

[112](107より)
といふ人、両検校に節をならひて、摂州西宮、傀儡師をかたらひ、人形に合せて十二段を語る。これ操芝居のはじめなり。また、永禄のころ、六字南無右衛門といふ女太夫、京都四条川原におゐて、浄るりあやつりを興行す。此評判国々までもきこへ高く、つゐに高家に召出され、其後、豊太閤の御前にてつとむる。又、慶長年中禁庭に召出され、叡覧ありしより、浄るり太夫受領勅免なりしなり。これより三ゲ津に浄るり太夫分じて、伊勢嶋あるひハ山本角太夫、岡本文弥、江戸油屋茂兵衛、四郎与吉、鳥や治郎吉、大薩摩、小さつまと、おの/\さま/\の流儀をあらハせり。
傀儡師発(くわいらいしのはじめ)
抑 蛭子の御神と申ハ、伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冊(いざなみ)の二柱の御神はしめて遘合(ミとのまくはい)して夫婦となり、一に大日■(おおひるめ)の尊を生ミたまひ、次に月読尊 を生ミ、つぎに蛭子をうミたまふ。此子巳(すで)に三歳にもなりたまひぬれども、脚立せたまハず、容像(みかたち)悪しきとて、天盤[木+豫]樟舟(あまのいわくすふねに)乗(のせ)、順風にまかせ放すてたまふに ついに西の宮の浦に着、爰に鎮座まします。後代に至て、道薫と云人、御神(かみ)の御こゝろをなくさめけるに、これより波風しづかにして、猟舟(りやうせん)多くの魚を得る事久し。時に道薫しばらくいたミて身まかりけれバ、また風をこり、波高ふして直さら猟もなかりしかバ、百太夫といふ人、人形(ひとがた)を作りて神の御まへなる箱のかたハらに身をひそめ、人形をもつて、我は道薫なり、尊の御ぎげんをうかゞハん為まいりたりとて、御こゝろをなぐさめける。これより、また波しづまりて猟もあり

[113]
けるとなり。そのゝち、時の帝此事をきこしめされ、禁庭の政ごとに出勤すべきのよし勅定ありけれバ、百太夫都にのぼりて、此義をつとむ。これによつて、大日本者神国故(たいにつほんハしんこくゆへ)以慰神慮者(しんりよをなぐさむをもつて)為諸伎芸首(しよけいのかしらとなす)、かくのごときの官を下され、諸国諸社神いさめの事勅免なりしより、胸に箱をかけ人形をもつて神をいさめしなり。是傀儡師のはじめなり。百太夫ハ諸国をめくりて淡州三原郡に着き、三条村にて身まかりけるに、何某の四人百太夫に傀儡を習ひて、此後傀儡のわざをなせり。これ淡路座操のはじめなり。右あわぢ座あやつりの座凡四十に余れり。当時諸国に名高きハ上村日向掾をよしとする。往来対刀御免にして芝居の表口に大日本諸芸首といふ額を懸る事なり。此義淡路座の秘書をもつてこゝに出す。
○ 傀儡師唱歌曰(くわいらいしのしやうがにいわく)   伊吹山おろし サア不破関守 ハンャ戸ざゝぬ御代こそ目出度けれ   恋しき ヤレおもひ サアふるさと近づき ハンヤ山城のいての里ハアゴザレ/\たうから コザレ朝のあらしにさそハれごされ サンヤぼんちハくゞりやうでくゞるかたく門やハたそかれ時よ ハア脊戸ハ八重垣大戸ハくゝりあけてたもれハ寝やもる月よ ハア五郎左衛門が心がこゝろうかれてくる/\や ヒヨツクリヤヒヨツクリ/\ヒヨイトサンテ目出度イナト云
百太夫の社ハ、西宮大神宮のうしろにあり。近世、寛延・宝暦のころまで西宮より傀儡師来りしに、今ハたへて見えず。当時、首かけ芝居など其たぐひなるべし。

[114-117]略

[118](113より)
 狂哥 傀儡師これも淡路を胞衣にしてうミにし国や筑後越前   鉄格子波丸
    首かけの人形廻しのほつたんは西の宮からはしまり/\  天王寺蕪坊

(以下 略)
[121]
[120]
[120]
傀儡師(くわいらいし)
傀儡師の祖たる人ハ、西のミや百太夫にぞありける。禁庭より神諌回国勅免ありしより所々方々にわたりて、淡州三条村にいたりて身まかりぬ。後人この業をなすに、風流の姿に粧いでゝ爰かしこにはいくわいすといへども、ものを乞ハず。代下りて、ついにハ米銭を乞て古格をうしなへり。
[121]歌道にハ遊女をさして傀儡といへり。是を思ふに、往古の遊女ハ客人の席にいたりて、哥をうたひ、舞をよくし、人形をつかひなぞせしといふゆへに、傀儡(くゞつ)の名を呼ものなるへし。また唐土(もろこし)にて傀儡棚といふハ日本にいふ糸操なり。よつて此事を南京操ともいへり。
おもしろや淡路を余所にはるの衣 素輔

[122-123]略

[124]
浄瑠璃作者 古しへは作者と極りたる人なし。俳人遊人など戯作なしたると云。近世作者と極むるものハ、近松門左衛門にはじまる。此人元大内につかふ。本性杉森氏(うじ)にして武士の果なり。博学碩才にして、百余番の浄るりにこと/\く妙をあらハす。はじめハ、京都に住て都万太夫の芝居にて、狂言の作者たり。後、大坂にいたりて、竹本筑後の作者となる。のち、平安堂菓[巣]林子と号す。享保九年に、七十有余にて卒す。ミづから行状の記を書て、その奥に、
         もし辞世と問ふ人あらは
     それ辞世去程さてもそのゝちに残る桜が花し匂はゞ
歌舞伎作者(略)

[125]
竹本筑後掾語(のはなし) 攝州天王寺村の百性五郎兵衛といふ人なり。声がら世の人にすぐれ大丈夫にしてさハやかなり。井上氏の浄るりをたなごゝろにたゝミ、[井上氏は、浪花の人なり。浄るりに妙を得て一流をかたり出して芝居を興行す。後に、播磨掾藤原要栄と受領して、其名代に高し。]清水の流を習ひ、清水は井上はりまの弟子なり。宇治加賀の掾に秘術をうけて、一流をかたり出だす。[加賀の掾ハ、伊勢嶋が弟子なり。はじめ加太夫といふ。のち、受りやうして加賀の掾藤原好澄と号す。行年七十さいにて世をさる。] 改名して竹本義太夫と号す。貞享年中道頓ぼりに芝居を興行す。是竹本出世の始なり。後に、竹本筑後掾藤原博教と受領す。元禄年中に竹田出雲竹本氏の座本となり、人形道具等に美をつくしけれバ、繁昌なる事日々にさかんなり。是筑後の芝居の開発なり。今大西と呼ぶ。
豊竹越前掾語(のはなし) 産ハ大坂南船場の人なり。井上竹本の流をまなびて此道の達人となる。十八さいの頃竹本采女と号す。後、竹本若太夫と改名す。しばらく竹本同座なれども、のち芝居を興行して豊竹上野掾より再転して越前少掾藤原重泰と受領す。これ若太夫芝居の開発なり。
浄瑠璃繁昌 四ツ海しつかにして、日の恵ミもひとしほおしてる難波の繁栄、わけて道頓堀にハ歌舞妓操の六ツ矢倉打つゞく。中にも、竹本、豊竹の両芝居ははやる程に/\表口にハひいきの幟所をせき、木戸
(127へ)


[126]
狂言作者 しくれつゝふりにし翁のことのはゝ かきあつむれと とまらさりけり

[127](125より)
口にハ、まち札の人々市立るばかりに群集をなし、筑紫吾妻の人々ハ大坂に来れバ天王寺の塔を見て義太夫さまの浄瑠理を聴聞すると云しもむべなるかな。八十才(やそぢ)の翁、三才の小児にいたるまで、義太夫節をよろこはぬハなし。されハ、その頃より浄るり稽古屋といふもの出来て、こゝにこゝろをよする人出、さらに心にこゝろをくるしめしも、はや仙人となり、いつの夜ハ或宅にて松嶋八景を語り、仕舞会にハ幡揃をかたるなどゝ自慢をあげ、北組の流々軒、東ぐミの住勇軒、西組の面徳斎と好々に変名なし、桶がたり蒲団がたりとおのがまゝに五臓をしほり、いつれうぬぼれの世界なり。また、こゝに仙人あり。此男のいわく、我前後若ひときに名人の浄るりをきいたが、またかくべつなもの、扇子屋(もみや)長四郎どのゝ音声身持などゝいふものが、当時の太夫衆と事かわり、腰弁当にて芝居にかよひながら此うへもなき名人とんとわけがちかふてある。又越前のかたりかたハ、かふしたものじやか、いつ忠がそのかたをやつて見らるゝけれど、大きいちがひ、作者も、門左衛門をはじめ名人の人々のかゝれたる中にも、一ノ谷の二ツ目に『だんどくせんの憂わかれ、しつた太子を送りたるしやのく童子がかなしミも』と、仏説をかたどり、愛護の道行にて『常に見なれし山なれバ手にとるやうにおもハれて、つい一足か二足か』といふ文句などハ、唐詩撰にももれたる妙文なり、と或人の噺。又忠臣蔵の序言に、『嘉肴ありといへども食せざれバ、其あぢハひをしらずとハ、国治りてよき武士の、忠も武勇もかくるゝに、たとへぼ星の昼みへず、夜はミだれてあらハるゝ、ためしをこゝに仮名書の』と、是にて末十一段の畢(おハり)までをわかてり。お千代の在所場のうれいば真身にこたへ、妹脊山の狂言などハ大和一国の名所をとりこミ、道行の作意ハ苧環塚の因縁
(134へ)


[129]
[128]
[128]
近松氏画讃写 此図ハ浪華の市中或富家に代々伝ハりしを世上に無枚諸書(すくなきしよ)なれば芝居好士(すき)の高覧にそなへんと乞求めてこゝにのする
楽天か意中の美人は夢のむつこと
僧正遍昭の詠中の恋は絵にかける女 とりかたにはとれかこれか作麼云
物いはすわらぬ代にりん気なく
衣裳表具にものこのみせす
[129]
平安堂近松七十一歳狂讃 印(平安堂) 印(信盛之印)
児の親手笠いとはぬ時雨かな 遊女 夕きり 
宵/\の待つ身につらき水鶏(くいな)かな 若いと
(享保8年(1723)杉森多門画 柿衛文庫蔵 『京摂戯作者考』によれば、大坂金屋橋熊野屋彦九郎所蔵として紹介されていて、後摂津大掾遺愛の品として伝世した(岩波版近松全集第17巻p7))

[131]
[130]
[130]
寄初の図(よりそめのづ)
図は楽屋の二階にして、板間に残らずたゝミ・毛氈をしきたる心にて見るべし。

[133]
[132]
[132]
[上段]内読(ないよミ)
[下段]惣本読

[134](127より)
より、三輪春日の二神を元となし、語出しを『岩戸隠の神さまも』と神代之巻を引たる文花の発明、かやうな事あけてかぞへかたし。今の作者のおよふ処にあらず。近頃蝶花形の八ツ目にハ篠原合戦の三段目をぬき、同二段目ハ高名硯にひらハれ、大功記にハ日蓮記を調合なしたりと、人もたつねぬ棚をろしに壱人腹をたてらるゝこそいとおかし。哥舞妓でいハふならバ、小むすこや若ひ女ごをとらへて吉右衛門のかんせう/\故歌右衛門のきのえ、平九郎や彦四郎の当り狂言を言ならべ、文七八蔵の双蝶々に、為十郎が有右衛門して此かた立者になつたはなしをして今の芝居を見る気ハなひといふやうなものにて、とんと落のこぬやつなり。またこちらの仙人のいふには、綱太夫の浄るりハ稽古にならぬの、越太夫ハてれんを語り、なべや[麓太夫]の浄るりハのびるやうなれど中興の名人、利兵衛[政太夫]どんの九段目、鬼一の菊畑、紙治の茶屋場にて、『小春にふかく[ハルウ]あふぬさ[中]のく[ウ]さり[キン]あふたるみしめ[中]なハ』の所ハむまひ事をやりをる、小嶋屋[文蔵]の三味せんハたぐひなき名人、しかしながら若太夫[ひがし]へ出ねバよひもおと、浄るりの中から産れたやうなこといふたり、そのくせ此人浄るりハ大のおへたにて月並の会に近辺の味噌をくさらし、紙二三まいかたると表口の小すミより悪口(やり)入る人ハ直(なを)さら一口浄るりに真違(すか)を語り、節ハいつかうまちがひだらけ、大きな声してやつた所が天神さまの御神木か、やれ/\くらいの流行哥、かく見る時は同し口から出る声にて大金とる人も有ぞかし。下手もあれバ、上手もわかり、下手あれバこそ稽古屋も立ち、五行本も売るふしとりあれハ芝居も繁栄(はやる)、なんでも浮世ハ浄るり世界、そのあらましの人くせを、こゝにうつして御代万にきハふ春こそめでたけれ。

[135]歌舞伎芝居舞台名目(略)


[137]
[136]
[136]
[上段]荒立
[下段]人形拵

[139]
[138]
[138]
[上段]内稽古(ないけいこ)
道行 ヨウてすりたま/\といふ図
浄るり部や
[下段]○此けいこハむつかしき立なとのせつ、太夫の部家に人形を持行、じやうるりに合しておもひ/\に仕内あり。此時人形をはなれて図のことく人形つかいハ哥舞伎の通り立まはりのけいこありてよろしく固まりたる所にて人形を持右のごとくそなへを立てるなり
人形をつかふ通言に
○チヨイ かしらをちよいとうなつかすなり ○マク 手をうちへまくこゝろにつかふ ○天地 かしらの見へをきりてあしのはらひをなす ○ハツカ わきさしのきつさきを合して切むすふ義也
此余のこと多けれハ略す
立廻稽古(たてのけいこ) 浄るりかたり 三ミせんひき 人形つかひ

[140-141]略


[142]
[143]
[142-143]
惣稽古 兜軍記出語りの図

[144-145]略


[147]
[146]
[146]
浄瑠璃三味線名誉人物
浄瑠璃のふし見の里につく舟ハいとおもしろくひきのほるなり
文蔵改 鶴沢友次郎
竹本内匠太夫
[147]三味線のいとかの山に引初るかすみをわけて鶯のこゑ 松好齋
竹本咲太夫 豊竹麓太夫 竹本政太夫

[148]
操芝居舞台名目 本舞台名目ハ哥舞妓芝居に同し。餝りつけ手摺に名目あり。是のミをこゝに出す。くハしきことハ図にて見るべし。 ○本手 本手摺なり。本舞たいより三段上にして縁ふミ段の所なり。図にて見るべし。 ○二の手 壱段下にして庭さきのこゝろなり。 ○三の手 本ぷたいにつきたるをさして三の手と呼。 ○浪手摺ハ一面に浪を書たる手すり。又、浪打きハを書たるもあり。○砂手摺ハ 一面に砂のこゝろもちを書く。人のよく知る所なり。 ○山手すり 同じたぐひなり。 ○城手摺ハ すミ矢ぐらなとありて、城の内を見する手すりなり。 ○返し手すり 是ハ半分まへにまへにかへるてすりにて、たとへバ、座敷をかへして山・海などになるとき用ゆる。又、哥舞妓芝居にも用ゆる。
花道 人形、花ミちを通りぷたいにいたるときハ、手すりをひらき、爰よりあがる、人のよく知る所なれバこゝに略す。
浄瑠理床 図のごとくにして、歌舞妓芝居よりハはるかに広し。楽やより出でゝ、掛はしをつたひ床にいたる。床のうちハ、二重に戸さして上にげふり出しのごとぎ明とりあり。哥舞妓芝居床の義ハ前編に委しく出す。

[149-155]略

[156]
大判成 (略)
内読(ないよミ) いつれ狂言の作、出来て後、茶屋などの座敷をかりて、作者をはじめ銀主・太夫・役者中、いつれもこゝに来りて本読を聞く事なり。文句の中に、太夫・役者の心におゝぜざる所ハ、書入をもつてこれを直す。たとへハ、同人形の出入しげきか人形の取廻しの勝手あしきハ、役者より直しを乞ふ。文句重言(ちうこん)の所か、又ハ云廻しあしき所ハ太夫より此差図あり。是をすミて作者清書をなし、惣本よミにかゝるなり。
惣本読(そうほんよミ) 歌舞妓芝居本読に同し。されども、銀主・太夫・役者・表方にいたるまで本よミをきく事なり。作者ハ見台に

[157]
なをる。かたはらに太夫・役者、はるかこなたに表方と座をたゞし居こと皆図のことし。大歌舞妓のことハ、初篇に委敷(くハしく)出す。
荒立(あらたて) 楽屋の稽古なり。本読をはりて後、人形つかいの部屋にて此義をなせり。此時、作者、本をひかへ、正面に座し、狂言の文句をよむことなり。是にあふじて壱人つかひの人形にてあらましのそなへを立るゆへに、あら立(たて)と呼ぶ。手摺ハ細びきを横に引張て手すりの替りとする。頭取ハ役割の帳面をひかへ、何の役ハたれなりと其人を呼びいだす。小道具方ハ其人形にハ何をもつ、是にハどふいふさしものありと指図をくわゆる。此日ハ是切にて、それより人形こしらへにかゝるなり。
○前にいふ壱人づかひの人形といふハ平日(へいしつ)人ひとりにてつかふ取りて、又はやつこ・こしもとのたぐひなり。此人形、楽屋に入る時、きハめてあたまをうち、よくむだをいふやつなり。
人形拵 荒立すミて翌日より、衣裳・人形を楽屋に入る。それより役者部家にきたりて、おもひ/\我好まゝに人ぎやうをかざる事両三日なり。あら立・人形こしらへの間いたつて見ものゝ事なり。
内稽古(ないけいこ) 楽屋にてあり。此日より三人がゝりにして、おもづかひハ頭(かし)らと右の手なり。左りづかひハ手ばかり、足つかひハあしにそふ。いづれも、三人とも心いつちせざるときハ、人ぎやうのうごく事あたハずといふ。是を見るに、頭をつかふ人ハ正面の切やう、身のそなへ第一とするが

[158]
ゆへに、心を人形にこめ、うれいの時にいたりてハ共にうれいをもよふし、勇むときハ又いさミ、老人をつかふときも其気になる。左りつかふ人も又同心なり、扨足をつかふ人を見るに、足のはこび人とハかはり、向ふにはこふ足なし。まへに引のミなり。左りつかひ・足つかひ両人とも人形の左り勝手による。おもつかひハ高き下駄をはき、残り二人は草履なり。此日より浄るりに合せつかふなり。太夫の座する所図のごとし。此稽古三四日すミて惣けいこにかゝるなり。
町触太鼓 初日前日なり。芝居より出て役者中・銀主・太夫の内迄ももち行、のち芝居にもどる事前編に見得たり。
○相撲の太鼓ハ日々なり、初日前日(まへび)四日目の晩 九日目の晩 以上三度ハ勧進元をはじめ頭取、浜々までももち行事なり。
○田舎芝居の町ふれ太鼓ハ、背中にたいこを負たる人壱人、打人(うちて)一人なり。是をうちて近辺をふれる事。
○壱里走(いちりばせ)ハ田舎芝居なり。壱箇村にて一両日勤て、又、次の村にて一日と次々に渡る芝居なり。是を壱里走の芝居といふなり。
惣稽古初日前日なり。昼の七ツ時分より始り暮て四ツ頃におハる。人形つかひ平日のすがたにて人形をつかふ事図のごとし。歌舞伎芝居も是に同し。見物の衆ハさんじきに軒釣(てうちん)をかけならべ妓婦をともなひ酒食をはこばせる。其にぎハひ初日のごとし

[159-162]略


[163]
戯場樂屋圖會 四

[164](白紙)

[165]
樂屋圖會拾遺下之巻
目録
白拍子女楽之図 初日賑 顔見世 二の替り 四連中濫觴 連中根本之写 番附絵本之写 衣裳方 (二階楽屋) (億病口後) (端懸の内) (浄瑠璃の床) (人形細工場) (三番叟棚) (立者部屋) (床山) 人形頭仕懸見図(立眉・眼・口) (頭後之図) (頭前後合内見図・引栓・胴串) (頭全躰之図・足之図) (抓手・差金・差込手・革番) (招手・指手・弓手) (扇子手・鼓手・さぶた) (琴手・三味線手・略扇子手) 女形頭面之働仕懸見図 人形全躰之図 道具方 小道具方 床山 鬘品目 囃子方 部屋 立役・女形 人形役者部屋 三番叟棚 浄瑠理部屋 浄瑠理稽古本濫觴 人形細工場 (人形品目) 芝居六好仙 (胴の部) (手の部) (操人形細工人) 拍子木 役者似顔之画 阿蘭陀人芝居を見る語

[166](白紙)

[167]

[169]
[168]
[168]
白拍子為哥舞図(しらびやうしかぶをなすづ)尤(もつとも)此図ハ本文(ほんもん)にしたがひて上(じやう)の巻(くわん)にいだす所なれども下のまきに潤色(じゆんしよく)としていだせり
西施設道浣春紗 碧玉今時闘麗華 ……

[170-189]略


[191]
[190]
[190]
二階楽屋 したなる釜のすへたる所ハ湯場なり 床へ行くかけはし
億病口後
[191]
橋懸の内 まくの引こみ
浄瑠璃の床
 但し床ハうしろよこより見る所なり
あかりとり

[193]
[192]
[192]
人形細工場
三番叟棚
[193]
立者部家(たてもののへや)
となりのへや 吉田東作
床山
此所ハぶたいのうしろ西南に当る心なり

[194-195]略


[197]
[196]
[196]
立眉(たちまゆ) 眉毛金にて作る。但し、しんも是におなし。
もとりのくじら
眼之働(まなこのはたらき)
開闔(あおち)眉 眉毛金、しん同し。中に穴ありて、せんのかねを通す。○印の糸を引ハまゆけうごく也。

目の玉
口働(くちのはたらき) 何れも戻りハ鯨にて作る也。 下なる口ハ表なりと知るへし。裏ハ上にてみるごとし。

[197]
頭後之圖(かしらうしろのづ) 両方の穴にせんを通すなり。
同前後合(あひ)たる圖
○ 右最初四ッの図ハ面(おもて)のうらにして、かしらを前後ニッに分たる心にて見るべし。 ○此印を目あてにして前後を合(あはす)と知るべし。
○ 眼(まなこ)にて△印の紐ハ目玉のひかへなり。是をうしろなる鯨の張にむすびつける事両方にて四筋なり。 □印のひもハよこ目をつかふ時に引なり。是も両方にて四すじにして、さきにて一すじになる。○此印の紐ハ両方にて二すじなり。是を引バ目の玉一所(ひとところ)による。但しさきにて一すじになる。
○ 口ハ□印を引バひらく。上にもどりの鯨あり。

[199]
[198]
[198]
頭(かしら)前後(ぜんごをあはせて)合内見圖(うちをみるづ)
引栓(ひきせん)
咽首(のどくび)
釣片(つりかた) ○ 片にして胴の内つける。○ 黒き所ハ鯨にて作る也。からうすト云。 此所をかまと云。
胴串(どうぐし) 小さな鯨にて作る。

[199]
頭(かしら)全躰(できあがり)之圖
○ 頭前後合見(あはせみ)る図ハ立眉(たちまゆ)、眼のはたらき、口の働(はたらき)、右三ツを一ツのかしらの内にこめて、うしろより見る図なるべし。但シ咽首(のどくび)を頭にさし込、○印の所に角なる穴あり、こゝに胴串のかまをさしこミ、仕懸の紐ハ図のごとく、胴串の穴に通し小(こ)さるに結び付、用をたつする。かしらのうなづきハ、咽首の鯨に付たる紐をかしらの内に結び付、又紐を引せんに付て、指にてこれをおさゆること也。いづれも図にて引知べし。
足之図
○ 上に付たる紐ハ胴躰にくゝり付る。但し、あしくびにうごきあるハ狐足といふなり。
  此所紙にてつなぐ。  あし金。
○ 女形にはあしを付ず。
○ 和藤内女房 小むつ
○ 白石噺田うへ場 しのぶ
○ なるかみにて 雲のたへま
○ むかし噺 せんたくの段 ばゞ
此たぐひハあしをつけるなり。

[201]
[200]
[200]
○抓手(つかミで) ○ 図のごとし。委(くわしく)ハ文中に出たれバ、こゝに出(いだ)さず。
 指先 木にて作る
 指金
 指下
 同正面
○差金(さしがね)
○ 堅木(かたぎ)にて作る。好ミによりて黒ぬりに仕たるもあり。右の方七寸余。左リ壱尺四寸余。
○差込手 又カセデトモ云。○ちよつと持て袖口より出す。胴にハつけず。此類多し。
○革番(かハつがひ)
○ ゆひのはたらき、中つがひを革にてつなぐゆへに名づく。
表(おもて)

[201]
招手(まねきで)
○ 是ハ立役・女かたにかぎらず。
二の腕
〇二のうでハ、きぬのきれにて袋をぬい、中に綿を入る。片車につけて片口に付る。

指手(ゆびで)
○ 手首のミ木にて作り、腕の所ハきぬの裂なり。はしに紐をつけ、是をつかふ人の手に結つける。たとへば手おひのごとし。
指革(ゆびかわ) いづれも右の方斗(ばかり)にあり。
弓手(ゆんで)
○ 弓手ハ二人かゝりの時か、又ハ碁盤人形などに用る所なり。
○ 図のごとくつがひにして、腕の紐を二のうでの穴に通し、下より是を引バかゞむなり。紐をゆるめる時ハ、もどりの鯨にてまた元のごとくのびるなり。考がへ知るべし、

[202-203](略)


[205]
[204]
[204]
扇子手(あふぎで) ○ 景事などに用ゆるなり。腕首(うでくび)ハぬりものにして、うてハ箱にこしらへ、三所(ところ)にほそきミぞをほりて引栓あり。○印の一トすじハ小手をかへす糸なり。△此ごときハあふぎをたくむ糸にして、親指のあたりにあなあり。此所より箱のうちにとるなり。□印はあふぎを開(ひらく)糸にして、おの/\引栓にくゝり付る。
○さぶた ○ 手ぬぐひなどをつかミとるてなり。次に図するは二ツに分ケたる形ちなり。
○鼓手(つゞミで) ○ つゞミでハ小手さきに鉛を入ること也。下のせんを指にて押ゆ。
○ 扇子ハ多く金銀にして骨は鯨にて作るなり。
○ さふたハかくのごとく腕の中(うち)にみぞをほりて、是をすらして親指のはたらきあり。諸事考がへ知るべし。

[205]
琴手(ことて)
○略扇子手(りやくあふぎで) ○ あふぎの親骨に紐をつけ、はしりの鯨にくゝりてはたらきをなす。
○三味線手(さミせんて) 是ハ左にしていとをおさゆる手なり。親指ハ絹にてつくるなり ○ さしがねハ手の横より打付る也。
○三味線手(さミで)の右 ばちハ手に打付あり。○あこや ○袖萩 ○三勝 ○四郎二郎などに用ゆる所なり。いづれ琴手・鼓手・あふき手に用ゆる事、狂言に寄りて知るべし。○琴手 ○略あふぎで 〇三味手左右 ○さぶた などハゆびのはたらきのミにて、小手先のまねきなし。 ○此余、たいこ手 ○杖手(つへ)のたぐひ多しといへども爰に略す。

[207]
[206]
[206]
女形頭(おんなかたかしら)面之働(おもてのはたらき)仕掛見圖(しかけミるづ)
○ 女形頭のはたらきハ ○安達原老女(ばゞ)・かさねのたぐひなり。面(おもて)の作り美くして、にらむ時は至てものすご く、髪さかたち、口をひらき、真事に生るかごとし。
○ 図する所のかしらにて、○印ハ目の玉にして鍮石(しんちう)をとる。□印の糸を引ハ、まなこかへりて、しんちうとなる。○印の糸引ハ、目口一時にはたらきあり。△此印の所ハ絹にてはり、口あきたる時のゆとりなり。○印ハかみさか立つ時に引なり。
但し立役面(たちやくかほ)のはたらきハ、前に図するごとく、口ハ下の口ばかり動く。こゝに写す図ハ上下ともはたらくなり。
○ こゝに図するハ、かさねのかしらなり。安達原老婆のたぐひは、面を縮面にてはる事多し。
○ 目玉かへりて鍮石(しんちう)のときハ、目に人見を打たず。図ハしんちうの所なれども、絵面にて見ぐるしきが故に人見を打。是至て逆なり。黒人(くろうと)とがむる事なかれ。

[207]
片板 裏を見る図なり。 ○ 丸胴に用ゆる釣片同し。中なる穴、かしらを差込、前にあるくじらの栓にて是を留る。
○印の紐ハ腕をくゝりつけるひもなり。
△印ハ足をくゝり付る。
□印ハ鯨にてつくりたる栓にして、頭を是にてとめる。図ハ少し抜(ぬき)かけたる心なり。
○下に図する切胴に用ゆる品なり。委(くはしく)ハ人形全体の図にて見るへし。
丸胴 ○ 張抜ものにして肩口に角なる穴あり。こゝにかた車をさしこミ、肩留のせんにてとめる也。 ○印ハ衣裳留の金物なり。 
○ 胴内に釣肩をひもにて中ニつり用ゆる事、肩板に同し。○ 腹を切(きれ)にて作り、いきづかひのことくうこくもあり。

切胴仕立圖(きりどうしたてのづ)
○印ハ腰輪なり。竹にて作り、もめんの切をまく也。
持ちそへの竹也
肩車 かたくるまに二のうてを付る事招き手の所にて見るべし。
肩車の栓

[208]
人形全躰之圖
○ 切胴人形仕立(したて)上(あげ)なり。切胴の時ハ図のごとくなる手をつける。○ 胸腹の切(きれ)なる所に、あつき紙を角ニ切て三所(みところ)につける。但し後にハひと所なり。
○ 衣裳をつける事常のごとし。衣裳の名目(めうもく)ハ歌舞妓同様なれバ衣裳方品目の所にて見るべし。
○ 狂言によりて人形衣裳を着かへる事あり。是ハ別に衣裳のかわりたる胴をこしらへ、首(かしら)ばかり着かへること、人のよく知所なれバ爰に略す。
○ 衣裳は帯の下にて横に切あけ、爰より手をさし込て頭(かしら)をつかふ。また後を見する時ハ脇の明(あき)より手をさし入る。此時左の手をつかふ人ハ、左右の手をつかふなり。
○ 人形の胴(おも)をつかふ人ハいつれも如此の下駄をはくことなり。

[209-211]略

[212]
人形役者部屋 上役者二三人ハ部屋をしきりて、其余はミなひとつ処に居ならぶ事、哥舞伎芝居惣部家のごとし。うしろの人形棚を見わたせば、義経あり、楠あり、伊五(あほう)がこれにかたをならべ、おちよとばゞハいとむつまじく、けいせいにハ役行者がもたれかゝり、非人、大人(きにん)の高下なく、五百年のむかし男、一夜附(とうづけ)のたおやめもうちましりていとおもしろし。

人形役者吉田を氏(うぢ)とする事 元、操芝居ハ、西の宮道薫坊より発(をこり)て、神道をつかさどるゆへに洛東吉田の流をしたひて吉田氏(うぢ)と号する事、道薫坊由来に見へたり。此道薫坊由来といふハ、淡州操家の秘書なり。
三番叟棚 清らかなる所に棚をこしらへ、注連(しめ)引廻し、内に翁・千歳・三番叟(さんはんそう)をかざるなり。哥舞妓芝居にて、顔見せのせつ、三番叟の役をバ勤むる人、いたって大せつなり。湯場の風呂に入とても、此人の入らざる内は、立ものたりとも入る事ならず。三番叟、急用事あるせつハ、手のさきなりとも風呂につけ、是より銘々此風呂に入る事なり。 ○或曰、翁ハ天照太神宮、千歳ハ八幡大菩薩、三番叟ハ春日明神なりといへり。うたひものハ、多羅尼に神道の言葉をまじへたるなり。是仏者の作る所なりと云。
○出づかひ 当時の出づかひとかはり、いにしへは、手すりをはなれ、長上下を着し、人形つかひ、又手づまなどせしといふ。是をなす人、辰松八郎兵衛にはじまる。思ひはかるに、近年伊藤弥八がなしたる手づま人形、水がらくりのたぐひならんか。是にならひて、今もなを出づかひをなせり。 ○おやま人形 此道に妙を得たり

[213]
ハ、いにしへ、小山次郎三郎といふもの、女の人形をよくつかひ、ま事に生るがごとし。ことのはに、けいせい遊女をさしておやまと呼ゆへに、一切、女がたの人形をおやま/\といゝなせり。中興、吉田文三郎ハ、一切の人形をつかふに妙を得たり。わけて、おやま人形にハ味はひ深しといふ。 ○ 野良間故事 言(こと)の葉に、人の美目(ミめ)いやしくあほうらしきをさして、のろまのやうなりといふ。此おこりハ、むかし野良松勘兵衛といふもの、あたまひらき、色青黒く、其容(そのふう)はなはだいやしき人形をつかふ。是を野良間人形と世の人いゝならハせり。故に、ならひてかくハいふとぞ。
浄瑠璃部屋 浄るり太夫、三味線引ハ同(おなし)部家にして、うしろに棚をこしらへ、こゝに三味せん箱本箱など置なり。知らせの拍子木を相図として、かけ橋を渡り、浄るりの床にいたる。
浄瑠璃稽古本之濫場(はじめ) 宇治嘉太夫ハ出生、紀州和哥山宇治といふ所の人なり。元来、謡曲(うたひ)に妙を得たり。後、浄るりの道に入て、名人のきこへ高し。貞享の頃、芝居を興行す。受領して、宇治加賀掾藤原好澄と号す。大字の正本に謡本のごときふしをくわへ、はじめて是を出す。それより、九くだり、八行、六くだり、今大字五行をもつてよしとする。中興住太夫此太夫浄るり節付の小本を出す。
人形細工場 楽屋の内にて人形のさいくをなし又は、そんじたる人形をこゝにてなをす所なり。一切図にて見るべし。

人形品目(にんぎやうひんもく)
(216へ)


[215]
[214]
[214]
戯場六好仙(しばいろくこうせん)
○ 浄瑠理 家業に智ありて其余に発明なる人も、此道の好人(せんにん)となりてハ真(まこと)に身を忘れ、人のそしりをかへり見す、曲語りに聞人の腸(はらはた)をより、三味線ひきに興をもよふさしむ。されども此芸、喜怒哀楽の情深かふして、遠国(とをくに)の心なき人までもよろこばぬハなし。此ふし難波よりおこりて、音曲の名をはつす。されハ狂歌に、
浄るりの節に名たかき難波潟 あしかりなんといふ人もなし
〇 三味線
 はじめ蛇の皮をもつてはりしものなり。三すじの糸をかけて、一切の音(ね)をはつす。当時この道にこゝろさす人、爪に糸道の切たると傘をさす上(かみ)の手にて糸おさゆるまねを見得とする。
○ 音色(ものまね) 発言(はじめのことば)にアゲマスが終言(おはりのことば)にソコラデセイはとんと昔となり、当時の音色(ものまね)ハ呼出しの哥(うた)によりて、当世はつかうの役者衆の言バをつかふに、裏表によしあしを定むといへども、今巴江璃寛に妙ある人をしらず
(以下略)
○ 内町女(こまちめ)
○ 連中(れんぢう)
○ 青田(あおた)

[216](213より)
○ 検非違使(けんひいし)
 いつれ実方じつかたの頭なり。
○ 素蓋鳴(すさのを) 素蓋鳴尊(すさのをのみこと)の面(おもて)をうつす所なり。面(おもて)ゆうなる作にして実なる頭(かしら)なり。
○ 文七 かりがね文七の頭也。すさのをに似たり
○ 由良之助 是ハ由良之介斗りに限る也。
○ 樋ロ せいすい記松右衛門の頭なり。ゆへに名に呼。
○ 天神 菅原相丞(かんしやうぜう)のかしら也。又、かんきなどにも用。
○ 実盛(さねもり) いつれ時代親父のかしらなり。
○ 鬼一 鬼一法眼のかしら、其外、官兵衛、師直の類也。
○ 陀羅助(だらすけ) ゑんの行者に用る。いつれ白(しろ)かたきのかしらにて、番頭のるい。
○ 団七 惣名(そうめい)、丸目と云。いづれ加藤などの頭なり。
○ 与勘平 あしや道満にて用ゆ。故に名とする。是にかぎらず。
○ 一寸 徳兵衛のかしらなり。いづれ此るいに用ゆる所なり
○ 六部 すミ友のかしらなり。政右衛門などに用ゆる。
○ 釣舟
○ 白太夫
○ 正宗
○ 源太 時代やつしなり。其数多し。
○ 役行者(えんのぎやうじや) 大峯ざくらに用ゆる。
○ 日蓮上人 日蓮記に用ゆ、これらの頭ハ役者の好ミにて仏師の作れることあり。
○ 女形頭
○ 娘
○ 女房
○ けいせい
○ かさね 図にくわしく出す。
○ 御台(ミだい)
○ 老女 時代せうによりて実悪の好ミ多し。
○ おふく 内百番、富士太鼓にてこし元の役、妹脊山とうふの御用、其外いろ/\おもひ入ありて用ゆ。

[217]
○ かしらハ狂言をもつて名とせり。其役にかゝわらず、たゞ、役割におうじて用をたつする。立者の役者衆中新きやうげんの節、新造(しんづくり)の頭(かしら)をこのミ、泰村・官兵衛などゝ名付るをもつて次の名目とすることなり。女形のかしらハ、いづれも同しやうなれどもそれ/\にひんのよろしき、あしきをもつて其作りかた多し。此外かしらの数多しといへども略す。かんがへ知るべし。
胴の部
○丸胴 はりものにて、脊腹ともに見する胴なり。肩をぬぐ時に用る也。 ○裂胴 肩のあたり板なり。腰のあたり竹也。此間腹ハ木綿(もめん)の切にてつなぐ。 ○片羽擢(かたはがい) 前斗り張ものゝ腹を見せ、脊の方はきれ也。 ○掛羽櫂(きれはかい) 切とうにかける也。
手の部
○杜若(かきつばた) 親ゆび残り、跡の四本一ツニうごく也。 ○袴手 まねく手なり。作りじんじやうにして上下の時、用。 ○抓手 ゆびさき五本とも人間のごとくはたらぎあり。 ○革鋏(かわつがひ) 屏風手とも云。是ハ女がたの手なり。ゆびさきのはたらき、革にて作るなり。
○頭の仕かけ、手のはたらき一切図にて見るべし。其所々委細にしるす。

[218]
操人形細工人
○笹屋佐助 八まんすじ、さのや橋ひがしへ入北かわ。 ○富田屋福蔵 新地黒門南へ入ひがしがわ。
○幕引 大歌舞妓などハ両方へ引わけなれバ楽屋番 道具方、是をつとむるなり。 操 芝居ハ、床山、此やくをなすなり。此幕引にハ諸事心をくばりて、大事(たいせつ)の役なり。別(べつし)て哥舞妓などにてハ、幕の引やうにて、其場のよしあしあり
○拍子木 いづれも拍子木は狂げん方の役なり。此きやうげん方といふハ、作者のもの書人なりといへども、作者同やうにして、狂言の作をなせり。
附言
(略)

[220-227](略)


提供者:山縣 元(2005.12.30)
(2011.10.28補訂)