黒白 第12巻6号(昭和3年6月)通巻号数なし

編輯局だより

◆五月五日の晩であつた。倉辻氏から、電話で『黒白』を継承しないか――と云ふ、突然の話であつた。

◆翌六日、倉辻氏に逢つて、継承する条件等を聞いた、一切が無条件だ――との事であつた、其処で七日に、倉辻氏と杉山先生を訪ふて、十分ばかりの間に話が纏つて、いよ/\青年教育会として頂戴する事になつた。

◆まるで、降つて湧いたやうな話だ。

◆話が定つたので、一切の権利とか、その他の事が当然、此方に引継がれる事となつて、警視庁の手続、逓信局の手続、なんかと四五日以上を、その方に奔走した。ために、この六月号から面目を一新する筈であつたのが、思ふやうに行かなかつた事を遺憾に思ふ。

◆けれども、既に進むべき方針が定つたから号を逐ふに従つて、改善される事を、読者に誓つて置き度いと思ふ。されば杉山先生御経営当時同様、否それ以上に、読者諸氏の御後援を仰がなければならない。

◆以上のやうな状態で、原稿の如きも、旧黒白として、蒐集されたものを、大部分使用したので、読者には或は前項記載の声明に添はぬものがあると思はれるであらうが、これも次号から声明に対する責任を果して行く考ヘだ。

◆前項にも述べたやうに、吾人の使命は青少年教育である。故に社会学(事実を中心として)を、常識涵養の一助に、説明して行く――と云ふのが、青年教育会としての眼目である。

◆それは、曩に日本国民として、口にするだに穢はしい、共産党の事件等に鑑みて、当然、国民の『社会常識の涵養』と云ふ事が、何よりも民衆教育の根本であると考ヘたからである。

◆社会学――と云ふ学門に関する事は、我々の知つた事ではない。我々は学問を教育するなんて、そんな『おこがましい』考へを持つ程、自惚れてはゐない。

◆今日の青年は、社会事象に対して、冷静に第三者の立場にあつて、批判し得るかどうか――我々は甚だ疑はしいものがあると思ふ。

◆もし、善悪に対して、公正厳密に批判し得られるものならば、国体の変革などと云ふ、たいそれた事は考へない、否、考へたくも考へられないものだ、それが欠てゐるから、忌はしい刑事問題が起つて来るのだ。我々はこの現象を救済したいのだ。(深海生)

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昭和三年五月二十八日 印刷

昭和三年六月一日 発行

東京市四谷区東信濃町八

発行編輯兼印刷人 深海豊二

発行所 東京市四谷区東信濃町八

青年教育会