(八十四) 三十三所花の山 観音霊験記 壷阪寺の段

 此段は、元吉野川と云ふ作本であつたのを改作して、新町(*清水町)の大団平が畢生の妙譜を施したとの事で、大隅太夫や組太夫、越太夫の役場として名高い物で、今日まで世間一杯に流行して居る明治年代の傑作物である。勿論文章は極めて幼稚な物ではあるが、団平が芸力の全部を傾けた痕が、此一段の全面に漲溢して居るから、斯くは流行するのであると思ふから、庵主は切に彼故人の芸力を推賞するのである。
 枕文句の『夢が浮世』は地歌の「まゝの川」であろふと思ふ。其音遣ひの六ケ敷事は誰も満足に云つて居る者がないやうである。夫から『鳥の声』の地歌は「菊の露」かと思ふ。元来浄瑠璃に「菊の露」の文句の書入れある物は、大抵死ぬと極つて居るやうであるから、其凶兆を呼出すべく物淋しく音遣ひを辿る事が、又六ケ敷のである。庵主が此段を熟読する処に因ると全部綱太夫風が漂つて節付けが出来て居るやうであるから、三味線は出来る丈け派手に、太夫は出来る丈け音を遣ふに陰気に語るべしである。果して然れば『尋ね廻れば』の『尋ね』は「ウレイ」の譜に落ちて来ねばイカヌ。酒屋の段の『鈍に生れた』の『ドン』が矢張「ウレイ」の譜に落るが当り前であるが、天下皆此『ドン』も『尋ね』も「ギン」の譜より下つて居らぬやうである。酒屋でも此段でも奥になつたら「ギン」にならねば成らぬと思ふ。一体コンナ所は「チン/\/\」と呼出しを三味線に弾かせるのが太夫の非力である「チン」と「ウレイ」で「一」(*「一」削除)を弾かせて出て見たら直に「ウレイ」に落ちる訳が分るのである。夫を何処ででも「チン/\/\」と呼出させるのは、昔は浮かれ芸と云つて下げすんだとの事である。文章の意味を語る事も芸力が〆つて居れば、ソンナ事は頼んでも出来ぬ物である。故摂津大掾は曾て庵主に稽古をする時に、斯く云つた、
「私共の修業して今日に成升までは、一通りの事では厶りませぬ、第一お仕打さんも(興業師)芸人も一通りの貧乏では厶りませぬので、芸は第二として、お金を儲けねば生きて行く事が出来ませぬ、夫には「浮かれ芸」を致しますれば前受けがよくて、お客様が沢山来て呉りやはり升、私は興業師から夫に使われましたので厶り升、一時は仰山お金を儲けた事も厶り升が、修業の上と芸と云ふ上からは、心ならぬ事をさせられましたのを残念に心得て、師匠に就き先輩に願ひまして、各段の風格、芸風と云ふ事丈けは常に修業致しました、其上で工夫を致しまして講座の芸は別に稼ぎましたので厶い升、殊に団平さんと別れましてからは、団平さんは大隅太夫や組太夫を引〆た古浄瑠璃の風の引からげた芸に仕込まれまして、少しでも「浮かれた芸」を許しやはりませなんだので、両人とも苦労は致しましたが、お客さん方には余り良くは厶りませなんだ、夫で私は旦那のお稽古を致ますのは、私の覚へて居る引〆つた芸風丈けをお教へ致升ので、自分の修業と思ひましてのお稽古で厶い升、今更講座で永年売込ました芸を変へる事は出来ませぬので難儀致ますので厶い升」
と云つて、教訓は常に芸道の根本から咄して教えて呉れたのである。故に「呼出」などゝ云ふ三味線の手は余程考へて弾いて、又語らねばならぬ事である。「チン」と弾いて済む所を、上手の三味線がフザケて「チン/\/\」などゝ弾くのに乗せられて、芸術上にも意味にもない音遣ひをして、「浮かれた芸」をするのは、自分丈けは夫れで好いとして、之を聞いて覚へる、後輩の門弟共の為めには、言語道断である。夫も玉三の『首は前にぞ落ちにける』「チーンチンチンチン」と呼出すが如きは、初花姫と云ふ裳を引いたお姫様が駈け寄るのであるから、無くてならぬ呼出しであるけれども、酒屋のお園が『鈍に生れた此身の科』と身悔みをする意味に呼出されて、声を振つて揚句の果が「ギン」の譜より下らなかつたとなつたら、自分の力相当に考へて見たらば分るのである。庵主は決して呼出を禁制にするのではないが、綱太夫がコンナ所は、即ち其段の前半では屹度「ウレイ」の譜に落して〆て語つて居るのを考へると、決して前受けが好いと云つて「浮かれ」る文章の意味ではないやうに思ふのである。壼阪とても同じ事で、天にも地にも代へられない夫の体の見へぬのを尋ぬるのに、「ギン」の音で振り廻す筈がないのであると思ふ。前に戻るが、沢市の一人舞台になつて『乱るゝ心』から殊に「林清節」によく気を付けて弾いて語らねば,団平の力を殺すのである。皆浮かれて居るのである。夫から『身の果は哀れ』「チン」と云ふ「ウレイ」に気を付けて弾かねばならぬ。何時でもコンナ時は、此「チン」で人が一人死ぬのであると聞いて居る。夫が『涙の色ぞ』「チン」も『心遣ひぞ』「チン」も、庵主には芸人の弾くのが皆同じ様に聞ゆるのである。此等は庵主の微力かも知れぬが、芸人の方でも深く注意せねばならぬ事と思ふ。又此段では「四ツ間」と云ふ事に気を付けるのが一番大事である。次には沢市を陰気に殺して、お里を陽気に殺したと云ふのが、真に団平たる力の面影の見ゆる所で、綱太夫風をウンと呑込まねば出来ぬ事である。『ナアムウアミ、ダブツ、ミダブツウ…ノ……ヲ』とお里を踊らして殺した所に力があるのである。夫から『コレハシタリ初めてお目にかゝり升』の初めては、『久さアし振りでお目に掛り升』が好いと思ふ。夫は前の文章に『三ツ違ひの兄さんと云つて暮して居る中に』沢市は盲目になつたのである。故に奥の『初めて拝む』も、『再び』の方が好いと思ふ。其外に注意すれば、気を付けねばならぬ所が沢山あるかと思ふ。