(七十六)忠臣二度目清書 寺岡切腹の段

 此外題は、江戸にて安政の頃、作られた物と聞くが、語り初めは竹本音太夫、鶴沢咲松と聞く。芝居に上場した事は無いらしいが、節譜は四段目に付いて居る。一時は関東関西を通じて、中々流行した物であるが、今でも女太夫の口語り共が、方々で語つて居るが、腹を締めて本当に之を鍛練すれば、中々面白いものと思ふ。明治二十七八年の頃、五代目鶴沢仲助を、庵主が後藤伯より引受けた頃、
「是非何か一段お稽古を願升」
と云ふから、
「夫では二度目清書を声慣しに稽古してくれ」
と云つたら、仲助は変な顔をして、
「私能く存じませぬから、宅に勇造さんの朱章がござりましたと思ひ升から、一遍調で(*べ)まして、お稽古に出ます」
と云つて帰つた。数日の後、稽古を初めたが、是が仲助との初手合せであつた。其稽古する家が、東京築地の柏屋と云ふ待合で、毎日午後の三時と約束を極めて、双方時間に遅速のあつた時は、其日は稽古を止めて、斯道の咄しをする事に極めたのである。
 扨て枕の『夢と見て現とさめし』と云ふ処を、毎日/\幾度遣つたか解らぬ。『大星由良之助が侘住居』となると、又夫が幾度の事であつたか解らぬ。『侘住居』「テン」となる、夫は『住居』と云ふ、音の落付を研究して見ると、中々面白くて、気持の好い処には、中々落ちぬ物である。『まだ鶯もこと問はで』の「ギン」の音が、思ふ儘に声が出ぬ、夫が一入面白いのである。『軒端に』と云ふ「ウクヲクリ」は一層の興味である。夫から『出立時刻は』是は多く『出立』「チン」と、「カヽリ」になつて居るが、アレは勇造の朱章では『出立時刻は』と「地色」になつて居る。「テン/\」『ホノーーヲヲグラアーーキイ、イヽンニイ/\』「チヽチン」となつて「ギン」の音を失はぬがよいのである。以下の「ノリ地」は一切絃につかぬやう、仮名で語らぬやう、『クサリハチマキ、イチヤウニ』とならぬやう『クサリ、ハチマキ、イチヤウニ』と云ふ風に、腹で「ノリ」て運ぶ事が肝要である。 『二度花の色香もなく』「シヤン」と「表具」になつて、『野辺の』「チリヽン」『かげ――ヱろふ――、ヲヲヲ、ハーールーーウ、ノーーヲ、ユーーウーーウキ』となる。『フタターーアビ、ハナノ、色香ももなく』「シアン」『野辺の』「チリヽン」『カケヱローー、ヲヲヲ』と……/\……/\……/\と毎日/\夫斗りの稽古となつたら、其待合の女将が、大変気の短い、遠慮のない女であるので、帳場で聞いて居てモウ溜まらなくなつたかして、ツカ/\と座敷に来て、
「旦那、もう「シアン」『野辺の』「チリヽン」に厭き果てましたよ、私方も商売では厶りますが、ソウ毎日/\『野辺の』「チリヽン」斗りを立通しに攻められましては、家が『野辺の』「チリヽン」で燻ぼつて仕舞ます、奉公人も私も、頭が変になりまして、仕事が手に付きませぬ…………お師匠様もヨイ加減にしたらドウです………お前さんだつて「シアン、チリヽン」斗りが能でもあるまいから………ドウか私の方も助けると思つて、少しは外の事のお稽古は出来ませぬか、大の男が昼日中に二人まで、待合の座敷に楯籠つて、鵞鳥でも〆殺すやうな声を出して、『野辺の』「チリヽン」斗りとは、何と云ふお道楽でせう、女房子があつて、世間にも立られるお方としては、余り御威光がなさ過ぎますよ」
と天辺颪しに叩き下されて、グツと閉口はしたが、其処が狂的のデン/\病患者であるから、
「おかみよ、お前の家の治安を傷(やぶ)り、営業を妨害して、「野辺のかげろふ菌」を振蒔いたは、誠に気の毒ではあるが、お前の毎日稽古する一中節でも、趣味のない、おれから云へば、肥厚性鼻炎かビカタール患者が、乾電気でも掛けるやうに、鼻で斗りムーン/\と云つて、意気がつて斗り居る、夫を俺は只で聞いて居るのじや、俺は良いお客ではないかも知れぬが、規定の席料を払ひ、夫相当お前の商売に順応した金を出した上の、『野辺の』「チリヽン」であるから、マア少しは我慢するがよい。此『二度花の色香もなく』からは、平右衛門が物語り中の六ケしい「カワリ」で、節は少しも六かしい事はないが、カワツタ腹の思惑が聴衆の腹の中に、分け入らねばならぬ程の、声と情と息とが、活ねばならぬ。夫が幾度もの修業でなければ、出来る物ではないから、斯く勉強するのである、其道に入れば、夫が又惘らめられぬ程面白いものであるでノウ」
「旦那、私は伺つて居ます、モウ/\浸み/\腸に分け入る程お出来になつて居り升よ、有難くて涙が出る程、感心致して居升よ」
と、ドコまでも馬鹿にするのである。コンナ馬鹿気た修業をして後の事、用事あつて友人の、青木周蔵子爵と渡辺昇子爵と小美田劉宜坊と、京都に行つた。三条畷の旅宿で、晩酌の後、是非庵主に腹ごなしに一段語れと云ふ。折柄隣家で小娘の声で、此二度目清書を稽古して居る。其三味線が、如何にも面白く「受け」も「間」も「合」も誠に調つた四段目の三味線である。ソコデ庵主が、
「アノ、今隣で弾いて居る三味線でなら語つて見やう」
と云つたので、早速宿に頼んで、其三味線弾を呼んで貰つたら、夫が野沢喜八郎と云ふ師匠であつた。夫から庵主は旅中の楽み此上なしと思つて掴み合で此二度目清書一段を、此師匠で行つたが、聞手の三人は素より義太夫の解る人ではないから、ウンと泣かせて遣つた。又其師匠も汗をかいて弾いてくれたが、
「私はこんな物で、コンナに一生懸命三味線を弾いた事はござりませぬ………エライお稽古をなされましたナア」
とお世辞を云つてくれたので、庵主は好い心持には(*な)つて、早速大天狗を構へ込んだのである。其翌朝四人で飯を食ふ時、小美田坊主が、プーーツと噴出して笑つたら、他の二老人も破裂したやうに噴飯した。庵主は変に思つて其訳を聞くと、其三味線弾が帰る時、宿の婆さんが懇意の余り、其喜八郎に向つて、
「お師匠さん、御苦労さま……大変な大きい声のお方でナア………商売人のやうじやナア」
と云ふと、喜八郎が、
「ハア、やう覚へて居やはります………併し浄瑠璃が余り詰まつてますさかい、商売人になりやはつても銭にはなりますまい」
と云つて帰つたので、其婆が悪るい奴で、早速之を小美田坊主に饒舌つた。小美田坊主は大悦びで直ぐに他の二老人に咄したので、三人は之を庵主の浄瑠璃以上に面白がつて「銭にならぬ/\/\」と云つて笑つて居たのが破裂して、斯く一度に吶喊の如く、噴飯したとの事である。是が庵主の二度目清書に対する包まざる告白である。