(六十) 桂川連理の柵 お半 長右衛門 帯屋の段

 此段は、安永五年申の十月十七日(大正十五年を距る百五十一年前)堀江市の側豊竹座にて、豊竹此太夫の役傷であると聞く。
 此人元は八重太夫、又時太夫とも云つて、岩田町とも銭屋佐吉とも云つた人であつて、元筑前掾の弟子で、新古浄瑠璃を興行して、後世に残し、世話語りの上手達者で、時代物の方は師匠筑前掾の三の切を残らず語つて居た人であるとのこと。夫から又寿連理の松お夏清十郎湊町の段を語る時が、時太夫より此太夫に、名前替をしたのじやとも聞いて居る。左すれば此帯屋の段は此太夫時代の時と思ふ。
 扨て此段で決して取違へてならぬ事は、前段ではお絹が主手で長右衛門が脇で、後段に長右衛門が主手になるのである。後は主手連れ脇連れである。故に長吉義平で笑はす斗りが目的ではない。お絹で屹度泣かすまで情が積んで来ねばならぬ。長吉義平で笑つて、長右衛門がソワ/\する斗りで、お絹でドッシリ聞人の魂に何等かの響きを与へねば、此段は語り甲斐の無い物である。庵主の聞いた帯屋は沢山あるが、一つも此太夫風の真世話になつて居るのを聞いた事がない。庵主曾て力量はある或太夫のを聞いた事があるが、前受けも好し、面白くも聞へたが、総てが敲きの「間」であつた様であり、真世話の「足」には成つて居なかつた。夫で常に庵主が義太夫節は力量斗りでは語れぬ。風をシッカリ握らねば其物になれぬと云ふのは此事である。併し夫には力量が無ければ握れぬのである。庵主の聞いた中では大隅太夫程帯屋の面白いのを聞いた事がない。夫は前受けや情合は先づ別として、一節でも敲きの「間」では語らなかつた。故に庵主等の力ではドウしても敲かれなかつた。譬へば其力量太夫の方は『弱身を見せぬ親と子が跡に引そい出来合の壷をかぶつた色事師打連れ勝手ヘ』と語り運ぶ内に「ヨワミオ、ミセヌオヤトコガ』と聞へた。大隅の方は『ヨワミオ、ミセヌ、オヤト、コガ』と聞へた。是丈けハッキリ違ふ。夫が此太夫風の真世話の「間」と「足取」であると。夫を大隅はコキオロシ、ブチタヽいて修業させるのである。力量太夫の方は、芸力もあり、人気も好し、又物の弁へも優秀ではあるが、帯屋の修業丈けは大隅より下である事間違ないのである。ナゼなれば帯屋丈けは大隅程修業して居らぬ事が、チヤンと語る事に現はれて居るからである。併し其所に又妙所がある。大隅は好くても成功せぬ。其証拠は実に結構な帯屋を語つて居ても、生涯流離炊軻で道路に死んだ。一方は修業で負けても智恵と力量が有るから、屹度夫で成功するのである。即ち只だ其風が後世に残るか残らぬかゞ違ふのである。故に誰でも本気に勉強して本式の風格を修業すると云ふ事に気が付いたら、大隅以上、大掾以上に成る事は受合である。芸と云ふ物は、何処まで面白い物か限りが分らぬ。アノ天狗の大隅が斯う云つた事がある。
「アンタ私の帯屋を誉めて呉りやハツて有難う厶い升が、夫は清水町の師匠を誉めやはるやうな物じやと思ひ升。ナゼなればアンタの云ひなはる事が、私が師匠から云はれて、血の涙の出た処斗りを誉なはるさかい、私は誉られてフーと考へ込むのだす、夫からナ、アンタ二見の師匠の帯屋を聞きハツタ事が有升か、アノ方で帯屋の良え筈がないと思ひ升のに、帯屋丈は又格別に宜ふおますぜ、其腹構へと運び方は、全く別物で、私聞く中にも面白ふて付いて往かれぬやうでしたぜ、私も凝りましたには違いませんけれど、二見の親爺さんのは、又凝所が違つて居升ぜ、私は聞いた当分はハット案じ込ました」
と云つた。然し庵主は不幸にして大掾の帯屋を聞いたことはないが、この大隅の咄しで、大抵はその寸法が分つたのである。庵主は常に思つて居る、凡そ芸と云ふものは、面白いといふ間はマダ駄目であつて、寧ろ空恐ろしく成らねば、所謂成つて居るとは云い難いのである。又大隅が『コレ長右衛門さん道理は道理ながらお前はキッウ済ぬ顔』と云つた一言は、庵主終生忘るゝ事は出来ぬのである。アレが本当の世話である。世話大将の此太夫の風であると思つてさへ居れば間違はないと今も忘れぬのである。『コレ長右衛門さん』と云つて見ても、団平は幾十度云つて見ても目を潰つて開けて呉れぬ、ソコに妙味がある。舞台の上の繁斎も義平も長吉もおとせ婆も、皆引込んで仕舞つた跡で『親の慈悲心身にこたへ差うつむいたる夫のそば云はんとすれど胸塞り暫し詞も出ざりしが』とチヤンと其切情の文句が書いてある。夫を語つた跡での、お絹が、夫婦差面ひになつて溢れ出んとする程の情合が込み上げて、『コレ長右衛門さん』と云ふ一言であるから、モウ一杯になつて口に言はれぬ心が、詞に出るのじやから、夫で之を何と語つたら宜いか、夫が芸の問題である。庵主が大隅のを聞いた時は『暫し詞も出ざりしが』「トン/\/\/\ジヤン」と〆めて、『コレ長右衛門さん』と云つた時は、前から仕込まれた技の為めに、情が積んで居たから、頭がクラ/\とするやうな気がした。一体此帯屋の段の山は、太夫として前後二つの『長右衛門さん』で聴人全体の頭をクラ/\とさせる位の事を考へねば山になつて居らぬのである。一つはお絹の『長右衛門さん』で、一つはお半の『長右衛門さん』である。克く後先を考へたら修業と鍛練の結果でなければ、語れぬ物と云ふ事が分るのである。夫が分れば団平が眼を開けて稽古を仕て呉れるのである。其処が恐ろしい芸と云ふ所である。此下らない一場の戯作で鬼のやうな男でも、俺もアノ様な女二人に此の如き切情を以て囲まれたら、屹度死ぬであらうナア、と其境遇に同化して仕舞ふやうに成るのである。夫が芸力である。只節を付けて浄瑠璃を読んで、何所にでも山斗りを付けて語る奴を素読太夫と云ふのである。