(五十七) 傾城恋飛脚大和往来(*恋飛脚大和往来 下の巻) 新の口村の段

 此場は安永二年巳の十二月(大正十五年を距る百五十四年前)曽根崎芝居にて上場した筈だと思ふ。役場は綱太夫とも若太夫とも聞くが、此書下しの時は、 両人とも退座した筈であるから、多分此太夫が此場を語つたものと思ふと、名庭絃阿弥が団平から聞いたと咄して居た。作者は菅伝助、若竹笛躬とあれど、元来が大近松の、冥途飛脚(正徳元年二月作)と、紀海音の傾城三度笠(正徳三年十月の作)とを、焼直ほした物に過ぎぬとの事。摂津大掾が昔日から、此段を語るに、何時も評判悪るく、自分も種々苦心を累ねたが、終に生涯雲の霽れたやうな、晴やかな芸光を顕はさずに仕舞つたのである。夫はナゼであるかと云ふ事を庵主は研究した事がある。大掾の力で此段を振り廻し/\、聴衆をワア/\と云はせる程、前に受ける仕事を知らぬ訳はないのである。夫をアノ様にヨタ/\と運び、ジミ/\と語つた訳は、 一通りの苦心ではないのである。夫は故団平が弾いて居る時、大掾フツト気のさす事があつて、団平に聞いたら、団平曰く、
「私の体は、アンタに遣つて仕舞うて弾いて居升、夫は表(座元)からの注文もあり升サカイ、其気で弾いて居升が、アンタが気が付きなはれば仕方がオマヘン、聞いて居る事丈けは云升がナ、私の聞いて居るのは、元来近松さんの作と云ふ物は、書キヤはる時から、運びの腹加減に注文が有るとの事、夫を太夫が第一に呑込まん事には、運べまヘン、前の封印切の段を、此太夫さんが、アレ丈けの「足」で一段を纏めて語リヤハリまして、息込みがチヤンと極まつて居升のに、綱はんも、若はんも、座を出やはつたので、又此段を此太夫さんが語りやはつたと聞いて居升サカイ、前の段とのヲリ合が、チヤンと出来て居なくては成らぬ筈、夫が大近松さんの注文の、腹の運び方が出来ての上と思ひ升、好し夫でなくても、ソーでなくてはならぬ事と思ひ升、此段では、忠兵衛も梅川も、已に死を決して出て来るので、云ふ事も為る事も、其心から出る愚痴と、世迷言斗りだすぜ、浄曲中に是程陰気な物は有まいと思ひ升、其腹を太夫が失はずに語ればこそ、三味線弾も、反対に夫が浮立やうに弾けるのダス、若し太夫さんの方に、陽気に乗気味に腹を持たれた時には、三味線の方は反対に「ウケ」一つでも、陰気に/\より外弾やうがオマヘン、夫ではお互に芸に成まへんからと、心配は仕て居ましたが、夫ではお客の方が収まりますまいから、仕方なしにアンタの語りなハル通りに弾いて居ましタンジヤ」
と云はれたので、大掾も一通りならず苦労をして、研究を怠たらず、団平と幾度も弾合せ/\してトウ/\アノ位の程度の物に成つたとの事。之は大掾の直話であるが、庵主が聞いて居たのでは、其「息」の遣ひ方からして今も面白く覚えて居るのである。前方先の江戸堀吉兵衛の弾いた時、風斗此段にブツ付かつて聞いた時、非常に面白く聞へた事がある。元来江戸堀吉兵衛とは、懇意には仕て居たが、芸としては庵主は常に反対の意見を持つて居た、意気組と間合の事では、色々押問答した事もあつたが、此新の口村では云得られぬ面白い感じを起した故、吉兵衛を宿に呼んで、羽織一枚の褒美を遣つて、
「師匠、今日の新の口は、お前絶世の出来であつた。新の口はアヽ弾かねば、新の口にならぬと思ふ」
と云つたら、
「旦那はん、気味が悪ふオマスなア、併し越路さんが、ドウ云ふ物か、此新の口に限り、出る声を出さずに、沈んで斗り語りやはり升サカイ、私是ではドモならんサカイと思ひまして、一番陽気に/\弾いて遣れと思ひまして、譜を押ヘたら、撥に気を付けまして、好へ音斗りさして遣りました、ホシタラ越路さんが、五日目にか私を呼んで、江戸堀、今度の新の口は、ヱロー語り好なア、只だモ一寸早よならぬやうに仕テンカと云つて誉めて喜こんで呉りやハリました、アンタに誉られたので、私も安心して弾き升」
と云つた。其吉兵衛の心持が、ドンと団平の申条に当つて、満場に斯の如き漂いがあつたのであらう。庵主は今日まで、此時の面白さが忘却出来ぬのである。何様音としては、日本一の江戸堀吉兵衛が、腕に任せて気を〆めて、好い音をさせたので、芝居一杯になつたのである。夫を一杯に大掾が受け止めて、心一杯に陰気に気を〆めて、腹の中で運んだのであるから、溜らぬやうに面白く聞えたのであらうと思ふ。夫から後は一度もアレ程面白く、新の口を聞いた事がない。夫から此段の風に付いては、何様語つた太夫が庵主に、ハツキリ分らぬので、庵主はドウしても、綱太夫の風のやうに聞えて仕方がない所に、各方面の議論が、此太夫と云ふ事が多数であるから、今何にも云ふ事が出来ぬ。只だ一二云ふ事は大掾の語つたのを、標準とするより外仕方がないのである。
 先づ『為めかや』と乗つて出る中に、『やアヽヽヽ』と云ふ中、即ち「テヽヽヽン」と云ふ中に、腹から寒い気で語る気が付かねば、お客は皆逃げる物と思はねばならぬ。夫で〆めさへすれば、後はサツ/\と往けるのである。 『今は冬枯れてすゝき尾花』と同じ気で運べるのである。夫から『跡や先き』が腹薄く恐気で語る『アトオヤーアア』「チン」と間を入れて「ハ」と掛声で、『サキ』と「ツメル」、『雪風』が離れて、十分「真ギン」に据はらねば、後が云はれぬのである。以下は其腹で研究すべしである。