(五十六) 摂州合邦が辻 下の巻 合邦住家の段

 此段は安永二年巳の二月(大正十五年を距る百五十四年前)大阪北堀江市の側座元豊竹此吉太夫、同此太夫にて、古浄瑠璃の風を語り残さんが為めに、興行せしが始まりにて、此場は、即ち此太夫が語りたるものであるとの事、(文化の初め死す)此太夫は前名時太夫、又八重太夫と云つて、通称岩田町銭屋佐吉と云つたとの事である。筑前掾の門弟にて、堀江市の側に芝居を建てゝ、自分で語つたが始まりである。其後綱太夫も語りて、少しく風も違つて来たが、概して此太夫風の物で、一番働いた品物である。
 即ち玉手の出の枕は四段目の節であつて、『気はうば玉の』に音を遣ひ『玉手御前』は真ギンの音を遣ふのである。此段中『玉手御前』と云ふにギンの音を遣ふのは、此処一つで、後にある『玉手御前』は皆尻が一の音に落ちるのである。入平の出の足取を語つた迹「藪畳」より「窺ひ居る」までは、潜み声である。合邦の詞は坊主がゝつた世話詞の中に、屹度律義の気象を現はし、女房はドコまでも慈愛一方の婆詞である。『泣ねど親の慈悲心を』と今時語つているのが、即ちアレが綱太夫節で、綱太夫から此節が変つたのであると。『オヽ嘘であろ/\オホヽヽヽヽ』の笑ひは合邦に気兼ねした婆さんの笑ひである事が、ハッキリ分らねばならぬ。玉手御前の「サワリ」表に意気を持つて、心に深き憂を含んで語るのであるとの事。総て義太夫節は色々の理窟屋がソコデ泣ては筋が割れて仕舞ふとかソコデ笑みを含んでは人形の腹の中が知れるとかと皮肉を云ふが、夫が大間違である。此段では玉手の此「サワリ」を聞いて聴衆が、ハヽア此玉手は口ではアンナ色気タップリの事を云つて居るが、何か腹の中に深き考へがあつて、決して不貞一方の女ではない。即ち悪い女ではない。善い人であろふと聞分けるやうに語る。夫が六ヶ敷のである。一ノ谷の陣屋を語つて熊谷が豪壮の詞の中に強い一方の荒武者と聞ゆれば、語れて居らぬのである。心に限りなく多情を含まれて、全身に涙の満た人、即ち熊谷で泣くやうに語つて、始めて筑前掾の語り物の要領を得たと云はるゝのである。故に此玉手の「サワリ」は、一段中重複の意味のある一番六ヶ敷処にて、毛筋程の油断もなく、或程度まで玉手の心情を聴衆に感得させると云ふが難事である。合邦はドコまでも真面目に、怒りに怒り、憤りに憤りて、其中に親子の愛情があればこそ、後に玉手の云訳を聞いて『オイヤイ/\/\/\』の深情の破れ所が語れて、始めて合邦丈けの結び目は付くのである。俊徳丸は、能ならば主手の玉手の連で、ドコまでも品よく盲目を忘れぬやう、婆さんは脇の合邦の連で、総て合邦にカラマル事を忘れずに語るのである。此段を語るには、能の謡本の弱法師の一番をよく読んで語るがよいのである。夫から俊徳丸の出から、玉手の嫉妬になるまでが、一番運びの六ヶ敷所にて、此が此太夫風の大事の所である。夫から玉手の嫉妬は、此段の眼目であるから、間を大きく、引息を十分に取つて、マクレ間にならぬやう、人形に同化して、自分が人形になつて語らねば、人形が生きぬのである。『コタへ兼ねて駆け出る合邦』は息で十分「ヘタッテ」語らねば、合邦の足取が語れぬのみならず、後が「マクレ」て云はれぬやうになるのである。玉手の手負ひ『憎い筈じや』は手負中、千本桜三段目のすしやの権太と、此玉手が一番難物としてある位故、屹度「息」の注意をして語るものである。『道理じや/\』「チン」『憎ウいイイ筈じや』と一息に語つたのは、摂津大掾一人である。併し夫が決して自慢もで良い(*でも良い)のでもない。此手負の情を語るには『道理じや/\「チン」憎ウいイイ、「チン」「カスレテ」はずウヽヽじや……』と此太夫、綱太夫から春太夫までソウ語ったとの事である。夫が「ヱ」の譜から、「サ」の譜まで、クリ上げるには、「チン」でよき「息」を取らねば、手負の情が浮いて来ぬのである。只だ一息に「上」の音自慢で、「サ」の譜までクリ上げて、クル/\廻して居るのは前には無論受けるけれ共、手負の情は逃げて居るに相違ないとは団平が云つたと大掾から聞たのである。是は摂津大掾の芸の力で語つて、始めて成功したのである。玉手の云訳は寸時も手負たる事を忘れずにスラ/\と語らねばならぬ。夫が中ゝ六ケ数(*六ケ敷)のである。其中に『思案を極め』の「カヽリ」の節から『黄泉の障りと成るわいのと』までが、殊に此太夫風の標本で、最も音遣ひに注意を要する処である。又『サレバの事』から『尋ねさがす心の割符』までが同じ風である。外にも沢山あるが、大略ソンナ処に注意を要するのである。調子上つて「取々」の「ハルフシ」から、「大落し」まで是丈けを又一段見做し、一大事に語り。其以後は落各風(*落合風)の段切りと思つて語つて良いと云伝へてある。総て義太夫節は、名人の半時浄瑠璃と云つて、即ち今の一時間で、是丈げの物を語り上げたものにて、曾て摂津大掾は、
「浄瑠璃も段々下落致しまして、私共の様な下手斗りとなりまして、昔の半時浄瑠璃、今の二時浄瑠璃となつて仕舞ました」
と云つたが、芸術は総て下落して、太夫が未熟不鍛練の為め、講座に上つたら休む工夫斗りをして居るから、コンナ事になるのである。此合邦の段を今の一時問と十五分位以上掛つたら、満足に語れて居らぬのであると思つたらよいのである。節を付け勝手に朗読した上に、古人の風も、極り切つた「息」もメチャ/\で、其上に一時間三十分以上も掛つたら聴衆を半殺の目に合せ、給金斗り高く取るのは、此芸道の大罪人と云はねばならぬ。況んや一人前の太夫として、其段中の人形に同化する事が出来ずして、芸が動く筈がない。曾て摂津大掾の咄しに、
「私共は未熟でソンナ事は厶いませぬが、綱さんが講座から下りられて暫くの間は、体が間拍子になつて居て、直ぐは元の体に成られなかつたとの事で厶い升」
と云つて居た。夫でこそ本当の芸人として尊敬すべく、又決して第二者の模倣を許さぬと云ふ権威があるのである。