(二十三) 仮名手本忠臣蔵 九段目切 山科閑居の段

 此外題は,寛延元年辰八月(大正十五年を距る百七十九年前)竹本座にて,竹本筑前掾(*竹本此太夫(後年豊竹筑前少掾藤原為政と受領))が勤め此外題にて東の元祖越前少掾の孫、島太夫即ち三代目豊竹若太夫と共に豊竹座に入り、是より筑前掾は豊竹を名乗つたとの事である。即ち此九段目が、筑前掾が竹本座にての、お別れ語り納めの一段である。其後竹本姓の政太夫も語り、夫が非常に良くて、今日の太夫が語つて居るのにも、政太夫風も交つて居るのである。作者は例によつて竹田出雲、三好松洛、並木千柳等であるとの事。
 此九段目は義太夫節中の大王とも云ふべき六ケ敷い物にて、先づ是以上の困難な物はあるまいと思ふ。第一に本蔵の出までは他に類のない程「カワリ」斗りの六ケ敷地(*物)にて、太夫も三味線も鎖で繋がれて居て、「カワラ」ねばらぬのである。三味線が初め「雪下し」と云ふ手を弾くが、「チン、テンチン、テン」と弾く、其「チン」と「テン」との間が、屹度大抵は腰がなくて「マクレ」て居る。夫は「チン」と弾ゐて、「テン」に至る時の左手の棹を摺る、親指の股に力を入れる修業が積んて居らぬから、壁(*躄)り間の「チンテン」になつて仕舞ふのである。ソウなると『人の心の奥深き』を語り出す事が、修業の有れば有る程困難になるのである。ナゼなれば「チン」も「テン」も、雪の笹葉から静かに落ちる舞台の淋しさを拵へるのである、故に「チン」の音が必要でなく、「チン」の「ウナリ」と、「テン」の「ウナリ」が必要である。夫に「チンテン」では淋しくも何ともないのである。夫が此段の魂である。夫から下の音は、腹の底に「ツツパリ」があつて、無暗に決して振る事はならぬのである。夫から三味線の音に関係なく「ハリキリ」「ハルギン」の二音が、何とも云へぬ妙所に触れねばならぬ。是が出来ねば、筑前風ではないのてある。次に「ギン」の音が総て絃に離れて、無上無垢の上品な音使ひを覚へねばならぬのである。となせは温順に上品に、お石は上品に厳格に、其内に女の情が漂よはねばならぬ。小浪の「サワリ」と称する所は,此を地色崩しと云ふそうで、此は他に一つも例がない。即ち腹の中にて、太夫が「地色」の気味にて語れば、三味線は何の苦もなく、「サワリ」の積りにて弾くと云ふ位取りが、其位置にならねば、双方とも出来ぬのである。夫から政太夫風と云ふは、『道の案内の、乗物を』から『庵の戸口』まで、或は『表に虚無僧の尺八』から『一間もヒツソと静まりしが』までなどが其風である。此外にも考へれば直に分るのである。今日まで大抵の太夫が、『涙止めて立かゝり』此間に三味線が笛の手を弾く、此間に太夫が息も腹も抜いて居るから、『コレ小浪アレを聞キヤや』が、娘を斬らふと思ふ心も、刀を持つて居る気も抜けて、只の時のとなせになつて仕舞つて居る。此等の一例で、九段目と云ふ物を知らればならぬ。コンナ所は,前後を通じて、平一面にあるから,夫に心を止めて修業せねばならぬ。本蔵の出からは,豪らい斗りで、只の義太夫節になるのである。鍛練さへすれば誰れでも語れるが、夫までの前の部は、修業しても語れる人と語れぬ人とが出来るのである。摂津大掾は全部を通して一時間と四十五分(老年の時)、大隅太夫は一時間と二十五分、三代目越路太夫は、大抵一時間と四十分であつた。