(十四) 楠昔噺 三段目の口 どんぶりこの段

 此外題は延享三年寅正月(大正十五年を距る百八十一年前)竹本座に上場し、作者は竹田小出雲、並木千柳、三好松洛で、役場は政太夫と思ふが又錦太夫とも聞く。往昔から此場は切太夫が、「徳太夫内の場」を喰ふ事(切の太夫を顔色なからしむる事)が多いので、此三段目の切りを語る太夫は余程の覚悟がなくてはならぬ。扨て此端場を庵主は故人の弥太夫の語つたのより外、甘いのを聴いた事がない。
 弥太夫の時の聞本を調べて見ると、
『昔し/\其昔し』と云ふ「地色」の取付の息が一種違ふて居た。『子供すかしを今爰に』がよく腹に解けて居たから『思ひ合せし』の「ハルフシ」が大変都合がよかつた。『祖母は六十の水汲は』(*『祖母は六十のみつハくむ』)の辺から三味線が只だ達者に弾く斗りの者では中々物になるのが少ない。夫から政太夫の聞書と云ふ本に「媼は歯で物を云へ、爺は唇で物を云へ、比端場は節を語るな情を語れ、詞を語るな情を語れ、情を語るな人になれ」と書いてある。夫で故弥太夫の語つたのは『盥をおろし』の「色」の後に息があつて、『サァ/\親父殿』となつて居る、総て爺媼何れも詞になる所には、夫れ/\一所一所に違うた息がある、夫が皆『重荷持つまいぞや―ァ』と引地をするから、後の息が悪くなるのである、「爺の方は少し早口の心で云ふ事、媼の方は少しユルく云ふ事」。夫から『杖を力』から『わりなけれ』までの「アミト、ガヽり」から「文弥」夫から「林清ヲクリ」まで此所に作者の意を用ひた、文章の情味を甘く噛み分けて語つた人は、外の名人は聞かぬが故弥太夫のは幾年立つても耳に残つて居るのである。夫から『アヽいとしや』からの媼の独り言の良かつた事と言ふたら、天下一品と思うて、大掾にも其事を話したら大掾曰く
「夫がアンタ「人にならぬ事」にはアレ丈けは云へませぬ、私もよく聞いて居升が、旦那はんがそないに云ひなはると又一層云へぬやうになり升物でナア」と。
夫から此政太夫物と云ふものは「三上の音」と「コハリに響く音」と「中ギン」に能く気を付けて修業する事。奴詞に訛がある、『たまして勝た』『負た』『身が旦那』『古狸』等気を付けて語る事。『ヲ勝手にする』とから段切までは皆「マクレ」て居るやうに聞える、是は前から腹と腰とが据つて居らず、口先で斗り語るからソンナになるのである。庵主は弥太夫の語り物では此段が一番良かつたやうに思ふのである。