(十三) 田村麿鈴鹿合戦 阿漕が浦 平治住家の段

 此段は寛保元年酉九月(大正十五年を距る百八十六年(*百八十六年前))の作とあれどもドウ調べてもより処がないのである。声曲類纂に因ると豊竹座の外題中にあつて、元文六酉年九月の作としてあるから、夫が稍確かなやうに思ふ。ナゼなれば此寛保年号は元文六年酉の二月廿七日に改元した筈なのである。作者は矢張浅田一鳥と、豊田正蔵が古歌の「伊勢の海阿漕が浦に引網のたび重なれば顕はれにけり」を種に書いた物であると思ふ。役場はドウしても竹本綱太夫の風と思ふから、終に豊沢広助に尋ねて遣つたら、この場は二代目綱太夫で(前名浜太夫猪熊甚兵衛といふ)あるとの事、左すれば全部初代同様の芸風で語れば夫で宜いのである。三代目は名人では有つたが江戸訛の抜けぬ太夫で風も少し変つて居たとの事、初二代は全く同じ風である。一体此綱太夫風と云ふ物は躄の段でも云うた通り、太夫は飽迄陰気に位と品合との音を以て運び、三味線は飽迄陽気な心持で足と間を能く腹に持つて一切を呑込んで淀みなく運ばねばならぬのである、先づ枕の『故郷は都』から克く「ギン」の音に気を付けて上下の「ニジリ」から出る事を忘れてはならぬ、「チン」『阿漕ケ浦』と「ハル」音の持方が腹の中に淋しい気斗りでなく物凄い気がなくてはならぬ。夫から「お春」即ち「春姫」の心持が中々六ヶ敷「お春」に成つたり「春姫」になつたりの「カワリ」が気を付けねばならぬ。『仕習ひ安き下司仕事』から全く綱太夫独特の運び風となるのである。猶茲に一番大事に考へて修業せねばならぬ事がある。夫は前段では「春姫が主手」である、其心持が底まで芸に徹底した太夫でなければ語られぬ。ナゼなれば田村将軍の御息女春姫が人生の悲惨につれて阿漕の漁民平治の妻のお春になつて居る、其夫たる平治に対しての惚方と云ふものは浄曲中の随一である、夫から心立も浄曲中に此程良き貞節の女は有まいと思ふ、夫は作者が畢生の力を此文中に潜めて居るのである、人間の義理人情と云ふ物は六七分は人見せの筋が多い、然るにこの春姫の義理人情は人見せではない、天性真底から善良の心の発露である、此心を語り現はすには先づ修業で春姫を知つての鍛練で、夫を聴衆にハッキリと感ぜしめねばならぬ。『溜る恋路の種産んで育つる世話と姑の病気の世話と』……と書いた筆力を屹度受取らねばならぬ、作者は夫でも心元ないから『仕習ひ安き下司仕事網すく中に姑の加滅の薬煎し上げ心に薬師の文唱へ用ゐいさへすりや其侭に験もあろかと女気の』とは何と云ふ名文であらう、庵主は文才宇宙に磅ばくした近松の名文よりも此浅田等の運筆に驚嘆するのである。サア此を語り現はすには腹に其構へがなくては叶はぬのである。聴衆の善男善女の人々が「コンナ気立の女房を持つたらドウであらう。コンナ心掛の女を自分も学びたいなア」と聞く中にゾーッと身を襲はるるやうに感じねば此文が語れたとは庵主は云はぬのである。故に庵主が浄曲の修業は声も間も節も足も風も修業の第二以下で、修業の基と云ふは腹であると云ふは是の事である。夫から姑が『アゝ冥加なや』から「河内地」になつて君臣の義を語り分け、又春姫が『ヲゝお袋様とした事が』から春姫の心の底にフット昔の身の上を思ひ出して、『アレアノ桜も』から時代腹にカワリ、『ヲホ……ハテモ昔は昔、今は阿漕の平治が女房お前の嫁』と世話にカカル辺、何とも云へぬ芸力が入るのである。夫から『機嫌取気の姑に』から「表に人音」となつては全く普通の浄節になるのである。夫から『声は平治が胸板に打たるる釘の先折つて云くろめんとつか/\立出』、此は平治が此段で始めて顔を出す所で春姫にアレ程惚られて居る亭主は是であるとの感じを聴衆に輝くよふに感じを与へる所、即ち魂は忠孝である、器量は優秀である、其男が死生の大難を腹に持つて立出るのである。庵主は前から此段の面白いのを一度も聞いた事がなかつたが、先年或る太夫の語る此平治の出を聞いた時、ハット思ふ程感心して後で其太夫を呼び、
「お前は誰に阿漕を習ふたか」
と聞いたら
「私は新町(*清水町)の師匠に云うて貰ひ升た、私は浄瑠璃は下手で厶い升が阿漕丈けは日本一じやと心に誇つて居り升す」
と大変な颪掛けであつた。庵主は外の全部で慥かに其下手なる事は認めたが、此平治の出丈けには驚いたのである。『声わアア』と音を遣つて、『平治が胸板に』に突貫かれた『打るゝ釘』と止つて『の先打つて』「チン」『云くろめんーンと』と持つて、『ツカ』と止つて気を変へ『ツカ立出』と早く軽く「色」で語りて、息を持つて『ヤ。コリャ庄屋殿お出』と語られたのには、一寸庵主も漂うたのである。此所丈けは此下手太夫が新町(*清水町)の師匠に云うて貰うたかして正さに確に日本一と誇つても好いと思つたのである。総てコウ云ふ意味に注意してさら/\と語るのが大事である。夫から平治が『夕べ始めて網を入れ見付けられたがサ絶体絶命』と云ふのに、『ヱ、ヱ……そりやお前何の為慰にか欲にかとそゞろに問ひし妻の顔』と云ふ一鎖りは、実に此お春の山である。アレ程惚れて翠帳紅蘭の深窓を捨てゝ阿漕の漁民の妻とまで成下り、寝ても覚めても思ひにおもひ手便として居る其平治が、大罪を犯したと聞いたお春の春姫の驚きはドウであつたろうかと云ふ心が溢れての『ヱ、ヱ……』である。夫が皆腹構へで語れるのである。夫から平治が時代に成つたり世話に成つたりは文章を見て考へれば直に分るのである。次に「右石の舞」(*「友石の舞」)は人形でも素浄瑠璃でも抜いた方が宜い、此等達者な作者には昔から有り勝ちの「出来過し」「書き過し」である。夫から笠印の符合などは実に名作であるから、其処を親切に語つて『音に(声と云ふてはいかぬ)読む字を訓に読み、よみぢに急ぐ一文字』と云ふ名文で段局を告ぐるまで、腹を一杯にして決して弱みを見せてはならぬのである。