古語に画龍点睛と云ふ事があるが、この意味は物事の完成を意味して居る。然るに多幸なるべき人生の行路には稍々ともすれば、否寧ろ屡々、運命と云ふ悪戯者が無遠慮に躍動して、果ては粒々辛苦折角の画面をも、一瞬時の間に滅茶/\なものとして仕舞ふ事がある。実際私なぞは、学窓を出てから、克己精励奮闘努力、漸くそれ相当の龍らしをものをば画き上げたが、將に其の点睛と云ふ間際、思はず魔の手が現はれて、見る/\中に画面はおろか、私自らと私を囲繞して居る総ての物までをも暗黒化して仕舞つた。さてかゝる困難に直面した私は、完く常夜の歎きに圧服されて、荐りに呻吟懊悩を重ねた結果、遂に昨春所謂其日庵煩悶病院の施療患者となつた。然るに其後境遇の故と云はふか、將又意識せざる生存慾の結果と云はふか、漸くにして再生の萌を得、這般化学研究所創設の叫を上げ得るに到つた。其の間、其日庵先生の慈愛は曩に「百魔」の玉稿を賜り、今又た化学研究資金の一助として、『浄瑠璃素人講釈』なる玉稿を寄与せられた事は只々感泣の外なく、爰に緊褌一番して、画龍の点睛を遂げ、只管師思に酬ひん事を期する許りである。
抑も本書浄瑠璃素人講釈は、斯道唯一の擁護者たる、其日庵先生蘊蓄の一端たるに過ぎないが、それとても猝に余人の追随を許さない事は言を俟たない。然るに今般右様の曲折と右様の意味合から、斯くの如き高著刊行の栄を辱ふするに当つて、私の微力、到底その実を挙げ得ざる事を少なからず惧れたが、計らずも
散逸せる此原稿の蒐集に尽力された 大熊浅次郎翁
本書の刊行に終始参画せられた 久田善基君
深野英治君
福光美規君
小林繁次郎君
刊行の目的に尽瘁せられた 星野桔梗君
黒柳柳君
刊行の主旨に賛同高助ありたる 豊竹古靱太夫君
竹本静太夫君
竹本素女嬢
諸氏の限りなき純情と懇切なる後援は、私をして、初めて本書刊行の重任を完ふするに到らしめたのである。私は、謹んで前記諸氏に対し満腔の謝意を表します。猶他日私の微力以て多小なりとも邦家の為め尽すところあらば、そは其日庵先生の余慶たるに止まらず、又以て諸賢御高助の賜物たる事を深く信じます。
大正十五年十一月
其日庵門下生
三角
不止