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【 浄瑠璃操評判闇の礫 】
ね太郎(2014.09.06)
日本庶民文化史料集成 7、浄瑠璃評判記集成 中 によった
浄瑠璃操評判闇の礫 上の巻
大序のかゝりは
政道を乱す
王子の反逆(むほん)
二ツ目の仕組(しぐミ)ハ
忠臣を隠す
春霞の覆
三ツ目の身がハりは
我子の命で親の名も
染上る親王の隠家
四ッ目の道具は
三根から麓へ
一面の八重桜
五ッ目のくゝりハ
朝敵亡びて
治ッた此御代
見立浄瑠璃外題による事左のごとし
惣巻首
至極上上吉 吉田文三郎
芸道ハ名に高き富士見西行
至極上上吉 鶴澤文蔵
音色にハ鬼神も感ぜしむ名歌勝鬨
浄瑠璃之部
大上上吉 竹本染太夫
見れバ見るほど手ごもつた極彩色
大上上吉 豊竹此太夫
先師の恩を立通す義臣兜
上上吉 竹本政太夫
おしい事ハ何所へ往ても三日太平記
上上吉 豊竹麓太夫
けつかうな声ハどこ迄も融大臣(とをるのおとゞ)
上上吉 竹本男徳斎
ちやり場ハ急度当ります矢口渡
上上吉 竹本組太夫
ずか/\と上りめの見ゆる手習鑑
上上吉 竹本三根太夫
聞しめるとしつかりとした昔八丈
上上吉 豊竹八重太夫
口中ハさてもよふ廻る車海道
上上吉 豊竹駒太夫
語り出しハ花やかな江戸紫
上上吉 竹本咲太夫
どこやらが大将の【ミばへ】文談
上上吉 竹本梶太夫
いつぞやから御姿を見せぬ隠井戸
上上吉 豊竹時太夫
一トいきとハねいりました入相花王
上上吉 豊竹頼太夫
ずつと聞のおそろしい皿屋鋪
上上吉 豊竹源太夫
黒人より素人受の現在鱗
上上吉 竹本弥太夫
語りやうハ突出した兵庫岬
上上吉 竹本文字太夫
声がらハちとかた過る金年越
上上吉 竹本是太夫
小つぶてもからいハ三荘太夫
上上吉 竹本中太夫
詞にしり声のない鶯塚
上上士 竹本錦太夫
師の名をゆすり受た二代鑑
上上十 豊竹礒太夫
御出世を今や/\と松浦【きぬかさ】
一上 竹本芳大夫 一上 豊竹信大夫
一上 竹本沢大夫 一上 豊竹繁大夫
一上 竹本葉大夫 一上 豊竹淺大夫
一上 竹本名大夫 一上 豊竹武大夫
一上 竹本律大夫 一上 豊竹要大夫
一上 竹本出水大夫 一上 豊竹湊大夫
巻軸
功上上吉 竹本春太夫
いつきいてもはんなりとした蘭奢待
三味線之部
大上上吉 鶴沢寛治
和らかさハ御家流の仮名手本
大上上吉 鶴沢市太郎
ほんに口だけの事ハ在原景図
上上吉 鶴沢名八
手ざハりハしんなりとした京羽二重
上上吉 竹沢弥七
音じめと器用ハ雲泥な襤褸錦
上上吉 鶴沢鬼市
尖(するど)さハ又とない布引瀧
上上吉 鶴沢三二
かけ声ハさわがしき夏祭
上上吉 鶴沢重三郎
さハりを西へきりかへた国性爺
上上吉 鶴沢伊八
紙治ハあたりました那須与市
上上吉 鶴沢甚蔵
弾かたハ何のくせなき昔噺
上上吉 鶴沢亀次郎
流義をどちらへも分ぬ源平躑躅
上上吉 鶴沢寛三
いさぎよけれとちとさハがしい轡鑑
上上吉 冨沢藤次郎
どこやらにかたミのある大峯桜
上上士 鶴沢正蔵
次第に舎兄をうつす伊豆院宣
一上 鶴沢定吉 一上 大西喜太郎
一上 鶴沢熊蔵 一上 大西菊松
一上 鶴沢嘉蔵 一上 竹沢惣七
一上 鶴沢右蔵 一上 竹沢駒吉
一上 鶴沢吉治 一上 鶴沢亥蔵
巻軸
上上吉 野沢喜八郎
花ハあれど実が少しうす雪物語
人形之部
大上上吉 吉田冠蔵
丈夫さハ類ひなき萬代礎
大上上吉 吉田才治
誰にてもマア惚させる恋女房
上上吉 桐竹門蔵
いつの間にかうハ仕上た千両幟
上上吉 豊松重五郎
和らかでしつかりとした女楠
上上吉 若竹友五郎
遣ひかたの手びしい武勇問答
上上吉 豊松元五郎
どふいふても此芝居での信仰記
上上吉 吉田文蔵
気持ハひくからぬ九重錦
上上吉 豊松東十郎
御舎兄と別れてござる有髪壻
上上吉 吉田真吾
女形ハちと力ミのある操弦
上上吉 吉田礒五郎
先生の風俗がよふうつる袖鑑
上上吉 吉田音五郎
大場な仕出しハ奥のしれぬ千畳敷
上上吉 吉田才蔵
どこやらに舎兄の俤を苅萱
上上吉 若竹武十郎
近年ハちと色のうせた嫗山姥
上上吉 吉田三吾
見るから好もしい振袖始
上上吉 吉田虎蔵
いつの間にやらめき/\と出世奴
上上吉 藤井大吉
あたし事ハ尻のすハらぬ出入湊
上上吉 吉田音蔵
そろ/\と出世の見ゆる旭車
上上士 若竹林三郎
どふそと立身をあふぎ立る扇子芝
上上亠 豊松国八
いつ見ても当芝居に入鹿大臣
上上亠 豊松弥三郎
今ぞ師の名を名のる世継梅
一上 淺井門二 一上 吉田清七
一上 辰松文十郎 一上 吉田民蔵
一上 田中平次郎 一上 若竹伊蔵
一上 土佐幸助 一上 吉田太吉
一上 若竹栄蔵 一上 吉田貫次郎
一上 吉田千四 一上 吉田十七吉
巻軸
功上上吉 桐竹門三郎
ゆつたりと手丈夫な難波丸
惣巻軸
極上上吉 豊竹嶋太夫
誰がどふいふても此道の一谷
当時不聞分位付豫斯のごとし
上上吉 竹本住太夫
上上吉 竹本紋太夫
上上吉 竹本筆太夫
上上吉 豊竹氏太夫
上上吉 竹本音太夫
夫上上吉人形 吉田文吾
各久〃御疎遠ゆへ評を略す。追付御上リ之節ゆる/\評したしませう。
闇に礫ハ向ふの見へぬ霊魂の示(しめし)
抑難波津浅香山の言の葉ハ人の心を和らげ男女夫婦の媒にもと聞しに、当時ハ人の心せハしく、先それよりハ目前見へわたりの戯場(しバゐ)にしくハあらじと、夫浄るりハ勧善懲悪を示し歌舞岐もこれにひとしく、忠孝をもて人を導くの種なんと得手勝手の我儘了簡。芝居好の友二三輩打つれ道頓ほりの辺よりそこ爰と尋廻りつゝ、法善寺ニさしかゝり、先本堂に詣、それより片辺なる茶店に腰うちかけ、けふりくゆらす其内、かたハらの石塔二ツ動くと見へしが、ふしきや煙気の内よりも怪しき姿顕れ出、「我ハこれ播磨・文三が霊魂なり。たのもしや、旁いづれも芝居好たまふ其随縁に引されつゝ、是まで顕れ出たるなり。」と、聞より人/\大におそれ、「さて/\思ひよらさる性霊かな。其霊魂ハわれ/\にいかなる事の恨か仇か。」と、大におどろきさハぎけれハ、二霊涙をはら/\とながし、「こハけしからぬ人/\のおとろき、さためて左様と存ぜしゆへ鳴ものなしに出たるなり。全以て各に恨も仇も夏艸のしげミに迷ふ我/\なれど、亡き跡迄の心遣ひ、近代操二芝居やゝともすれバ色をうしなひ、そこよこゝよとかけ廻り、或ハ旅行キ・京上リ、其上一日切リ落し、どこが西やら東やら、是みな芸の未熟から。それになんぞや、歌舞岐の世じや、浄るりの末などゝ我身の下手ハしりもせで色/\との述懐。尚此上も覚束なし。当時の若きもの共へはげミを付ん其為に兼て一ッ書をしたゝめ置、好士(ふうし)を待事良(やゝ)久し、けふ幸に各方へ頼置事是一ッ。」と、一書を残し二霊共書消ことくなりにけり。人/\寄異の思ひをなし、「是ハふしきの事共也。いかなる事の書しやらん。」と、開き見れハ、当時の浄るり・操・三味線それ/\に励を付し位付、「おもしろし/\、我〃もとより此道に志ある、其上二霊の頼もたしがたし。これより直に浮瀬にて我〃に等しき好士(ふし)をあつめ、尚細評をもよふさん。」と、巽の方へとこゝろざし足をはやめていそぎぬ。
安永十ヲ 作者
丑の孟春 而笑
惣巻頭
至極上上吉 吉田文三郎
至極上上吉 鶴澤文蔵
[頭取]先もつて各様方はや/\と御入来(ごじゆらい)下さりまして大慶に存ます。誠に先年浄るり発行の節ハ毎度評判所の会合もござりましたれど、いかゝいたした事か、近年浄るり評判打たへましたるゆへ、此度浄るり・三弦・人形それ/\に位付甲乙を此席にて評いたします。各様方、思召もござらバ御遠慮なう仰聞られませう。[大ぜい]おもしろいぞ/\。まづ巻頭ハ誰じや/\。[頭取]誰と申たらいま日の本にかくれなき吉田文三郎丈・鶴沢文蔵丈、此両人ハいつれをいつれ共分かたき稀ものゆへ、至極上〃吉のつり合にして惣巻首に居(すへ)ました。[ヒイキ]成ル程これハ尤なれど今少し位が不足な様に思ハるゝ。此席へ出る事じやなけれど歌舞岐の評でハ慶子を大至極の位じやないか。それにくらべて見れば両人ともに大〃至極くらいに仕ても大事有ルまいぞや。[頭取]左様思召も聞へましたれとそれハ歌舞岐と操との違もござりますかい。歌舞岐ハ花を面と仕、殊に例年品定もござればかハりごとの出来・不出来にて座列位付の不同もござりますゆへ、先これにて御用捨下さりませ。[ヒイキ]頭取も其所を承知ならバ毎年ン評してもそつと位を上てもらをぞや。[惣〃]講尺がすんだらきり/\評にかゝつて下んせ。[頭取]左様ならハ先目録の通り口から申ませう。扨二代の開山吉田冠子丈此人若年の節菅原の時菅秀才のお役、其砌御親父不快にて御引被成、かハり役松王女房の役御勤にての大出来。漸く此時分よりかゝる大役を勤、出かされし所定メて後〃にハと思ひしに違ハず、今はたしてかく無類の名人とハなられき。誠に蛇ハ一ッ寸にしてとハ此事ならし。近き比新地にて染丈興行の節
反魂香 【年表】に又平・ミやの二やく、
国性爺 【年表】にてハ甘輝のお役、いづれも大出来。[見巧者]ミやの役目ハ中〃一トむきのやり人とハ見へず、きつと将監の娘とハ承知仕ました。鏡の性根も受ました。甘輝ハ只何となく希代の軍師と見へたぞ。[頭取]次のかハり
恋女房 【年表】にて定之進・重の井の二やく、いづれもけしからぬ出来様、十段めうれいの間式台より思ハず落たる遣ひ方、さりとハ新しい。急度御工夫。[さじきより]次キのかハり
布引 【年表】にて小万・実盛の二やく、当りました。実盛にて太郎吉の鼻かんてやる性根ちと見物におかしミかゝり、うつとしい様にも有レど、小万の男仕立ハ受取たぞ。二ノ切にて思ハず飛上る仕内、味い事/\。切に
紙治 【年表】におさん・孫右衛門の二やく、別而孫右衛門ハ大出来。一ッハ此人で当リました。[頭取]其続き
亀山噺 【年表】に石井源蔵・おしま・祐軒の三やく、いづれも出来ました。次に
三日太平記 【年表】、切ニ
おはつ徳兵衛 【年表】、三日にておさま・武智の二やく、八ッめ馬に引ずられての大切新しうごさります。おさまハ花やか/\、切にてハ則おはつのやく、別而下の巻平野やの場、門口よりさしのぞく所、殊に人形に綿をきせながら頭の遣ひあんばい、とふもいへませぬ。其次見取浄るり
女護島 【年表】にて千鳥、
ひらかな 【年表】にて梅がへの二やく。[ワル口]千鳥のやく奥にて扇を上て招く時大きな声てチョトおかしハあまり仰山な事。[頭取]しかし梅がヘハどふも/\、此場にて雪をふらせし趣向、さりとハ案者/\。火燵の間の遣ひ方なと新しい事とも多く面白いこと。お前と一ッ体といふ文句の間脇身しての所ハきつい性根。明ヶの年
うす雪 【年表】にて大膳のやくしぶとい事きつと憎う見へました。大切
四季所作事 【年表】ハ大出来、此上もなけれど楽(がく)の間ちとさびしくて場の受がいかゞしくなれど、仙人ン谷ハきつと承知、殊ニうす雪清水場の趣向ハ此お人の御工夫のよし、花やかな事/\。それよりいかゞした事や御退座にてしバらく御休、どふした事と思ふておりました所、南へ御出勤にて
応神天王 【年表】の勘作、
男鑑 【年表】らいでん門女房なといづれも申分ンなき出来。明ヶの年
姫小松 【年表】、俊寛・およねいやはや違ふたもの。其後又〃御退座にて兵庫の方へ御越との事。兵庫にて由良助・ミや・又平なと大当りと承りました。それより京都へ御上り、薬師にて娘道成寺諸人の目をおどろかし、今にてハ誓願寺御勤との事。いづくへ御出被成ても此人の沙汰計ハ誰が点の打人ハないぞ。どふ見ても操の開山親玉とハたが名付けん。花も実もうち揃ふた名人かなといづくの浦でも此噂。[粋連]いつぞや梅幸由良之助にて大当りハ諸人のしる所。其後此人右梅幸にもれたる穴を遣ハれし時ハ此方どもゝほん得心で有ッたぞ。其外何役でも此人の遣ひ方ハいかな慶子・梅幸・由男・眠子などの名人達も此人の形を捨られぬ所を見てはハ誠にまれもの。惣体の芸頭といふても過りハないぞ。[見巧者]故人綱大夫近比の上手とハいひながらひとつハ此人の引廻し。
蘭奢待 【年表】の可兵衛ハ寄妙/\。ひとり浄るりが語られそふに思ハれた。是に限らず人形にて節付の差図など仕らるゝとハ余人の及バぬ所。其外かハり毎に古物でも新物にしてのつかい方ハ発明/\。[頭取]其外奇妙ハ数も限らず思ひ出してほめ出したら幾日申ても尽ず。夜も更ますれば先これぎりで次へかゝりませう。
[頭取]さてこれよりハ彼壱人近代の元ン祖鶴沢文蔵丈、此人鶴沢友治丈門人にて初年ン之比より竹本義太夫芝居へ御出勤。次第の上り目、先三味の音色さのミ飛ぬけたと申ほどの事なけれど只何となく大キく音に品ン有てきれいに、手ハ左右共に打揃ふた達者、どこに一ッ申分ンなき大立者、弾方ハきつすいの西流なれども才芸なれバ自己の流義を調合しての弾あんばい、どふ聞ても希代の妙手。殊に手を付る事奇妙にて其上歌の方にもくハしきや。全ン体地の間などにも歌の弾方まゝあつて、いよ/\艶ンに何を聞ても穴とやらハひとつもなき名人。此度
時代織 【年表】八ッ目いつもながら目さましい事、一ッ体どこととらまへた所ハなけれど始終に味ミ有ッてどふもいへませぬ。[場より]ハヽハットといふ文ン句の時たつた一ツたゝかれた折ハ種が嶋かと思ふた。[けいこや]何より歌の間只しめやかにどふも申様がない程の事。[法師]花筏を入レたハ作者のはつめいなれど弾方ハ受てゐるぞ。[頭取]全ン体大西藤蔵丈存ン命の内より故政丈の役目を渡されしとの事、うぶからが大将の徳のそなハりしお人、近比新地にて【
国性爺 【年表】・
相の山 【年表】の時ハしばらく御勤なく、かハり役鬼市丈にて半バ迄過しが其後御出勤。さりとハ二ッともおもしろい事。[聞じまん]相の山にて山三述懐の間なと染太もよく語られしなれど、弾方の工合ハきやうとい事/\。[頭取]其後
紙治 【年表】にて下の巻衣裝出しの間の手、さりとハよふ付イた物。次に
亀山 【年表】四ッ目刀屋の場、相かハらぬおもしろさ。[けいこや]切の大落しの時尻ばりにひかれた所ハきついもの、自然とたまつてゐられぬ所。次に
おはつ徳兵衛 【年表】上の巻かゝりの道行の間、門口へかゝる迄只夢ともなくうつゝともなき手の付あんばい、自由な物でハあるぞ。ぬいものゝ間のめりやす拍子ぬけのした様なる弾方ハ性根。奥のさハりなども撥はなれの奇麗さ、ぜんたい此人のさハりの切リやうハ誰も得合点いたさぬ、一をつまらせて二のさへた所ハ三味せんやも不思義なとの事。其外の弾方おくり返しから余人のとハ裏はら、皆品をわけての一流、似せとふても似せられぬ、すねた弾方ハ叶わぬ/\。[頭取]其後
女護嶋 【年表】の御役、これハ前方綱丈と御門人亦丈との改正(かいしやう)章句にて大当りゆへ、とうか付替るもいかゞしく定てお気にすゝまぬ事と存じた。[ワル口]口の成経物語の間さりとハ不性な事。[頭取]其後
うす雪 【年表】・
大塔宮 【年表】・宵庚申など其外さま/\何でもよく承知したもの。取リわけて
もみぢがり 【年表】曲水の場ハ古今ン無類との評判。いやまたけしからぬ大当り。全く此お人の御働内、町のけいこや衆中もこれにハほとんど難義しられたと見へました。[けいこや]もみぢ狩ハ鐘入と椀久と三幅対にしておかねバならぬ代ロ物。其外古物ハ何を尋てもしらぬといふ事なく、故人鐘太丈も大将とハ申物の、一ッハ此人の軍配ゆへか、東にてハさのミ残た物多からねど、西へ御出勤にて此人と出会、以後一ッとしてあだな事なく何でも残ッて有所ハ全く陰陽和合の所かも。其余妹背山など初段より切迄大方此お人の御世話、けしからぬ。勲功二君に仕へず、竹本之芝居を放れぬ所ハ誠に芸道の楠、鳴呼忠臣とハ世の人のしる所。[聞じまん]成程少しもいひ分ンなき立チ者なれと、あまりかたくろしい様に存る。落のくる事がきらいといふ弾方に思ハるゝが、何芸でも愛といふ事も有レハやはりちと落取ル様にも弾給へ。[頭取]どちらからどふ見ても大立者に違ひハござりませぬ。よし穴を申人ハ有共それハひつきやう偏執と申物。何ンでも此芸一まきにかけてハおそらく四海に一句も上る者ハ有まい。感ずるに余りある大将/\。
浄留利評判闇の礫 中の巻
浄瑠璃の部
大上上吉 竹本染太夫
[春組]今での親玉春太ハどふするのじや。[此組]当時世話かたりの開山此太夫を出してもらを。[政組]こちのハどふじや。置キなをせ/\。[頭取]いづれも様まづ/\御待下され。御三人共にいづれをいづれとわけがたき名家なれど、まづ御当地中興のわざもの染丈ことにひいきさかんの利(きゝ)ものゆへ何かなしに先巻首に居(すへ)ました。[ワル口]利ものかしらぬか、声ハちいさし、うれいハきかず、詞ハ親仁も娘もひとつの様なが、それでも大将とやらいふものか。[ヒイキ]此わろハ浄るりの評義をしらぬそふな。声ハちいさい様でも筒ふとく、うれいもきかぬ様なれと物によつてハかんるいをながさす事、此人の妙なり。先
壇の浦 【年表】三の切鯉の場なと、これうれいの骨肉にて自然と袖をひたすの工合、又ハ
おせきのゐけん場 【年表】、
大安寺 【年表】治郎右衛門ひとりごとのうれいなときつとこたへました。こゝらが余人のうれいとハ利所がちがふてある。先此席へ出て一ト言もいひたくバこゝらをとくとかんがへていハつしやれ。詞ハいにしへの播广殿の流義にてさのミ男女をわけぬが先師よりの伝来。古人達の風俗捨ずして用ひらるゝ所きつと承知してゐます。[ワル口]そんなら鼻かむのも古人からの伝来かしらぬ。[ヒイキ]素人(しろと)なら素人の様にだまつて居やいの。[頭取]先〃御しづまり下され。扨これより評いたしませう。此人そのかミ
小野道風 【年表】の時初床にて三ノ中と道行のツレのお役目。初てより当りをとられ、其後かハり毎にいつとても受よく、家太丈と一ッ所に出られたれどまたゝく内に誰レもかれも打こへての上達ッ、今に相かハらぬ御名人。此度
時代織 【年表】八ツ目琴歌の場さりとハおもしろい事、只なんくせなくおとなしき語り口どふも/\、何かさし置ひんよくうれいもこもり、歌ハお家ながらも妙有ッて聞あかず、ふし付もちとこまかな様なれど無理なく、只さら/\と語らるゝあんばい、いやはや外〃いらい人ハござりませぬ。[さじきより]成ほど歌ハいつとてもおもしろい。法師衆中もほめてゐらるゝ。白無垢に着かへて悦ひ、身がハリと聞てびつくりしてのうれいなどとかくそらけず語らるゝ所ハきつとおもしろかつた。[頭取]始終落付た所ハどふも/\。新地興行の内も
おはつ 【年表】なとハ感心、古ものでも
相の山 【年表】・
霄庚申 【年表】・
安達原 【年表】など又〃格別な事でござりました。[天満]
女護嶋 【年表】ハすいぶんおもしろかつたれど、やはり綱太の方がはでゝよいぞや。[聞しまん]しかし此場にあまりはでもいらぬものかい。近比の出来ハ
京土産 【年表】で有たぞ。さりとハひといお上手。[頭取]いか様左様でござります。一体何を語られても申分のない立者。殊に文蔵丈といふ大将が付てゐらるれバよいと申も無理ならす。折〃にハ今少しむかしがつた語り口もござれと、おもしろい事ハ外につゞくものハござりませぬ。[ワル口]頭取のやうにいひ立たら何一ッ不足ハないが、かわい子にハ旅とやらいヘバちと折にハ旅もさして見やいの。[頭取]何といふてもこれほど場数残した人もござらぬ。どふいふても竹本の礎、素人衆の守り神とハ此人。今での親玉/\。
大上上吉 豊竹此太夫
[頭取]扨御待かね、此丈この所へ出られました。ミなさま申分ハござりますまい。[政組]此方共ハ外の太夫ハいらぬ。塩町が早ふ出してほしいぞ。[頭取]先もつてお染以来相つゞきての興行、昔にかハらぬ御はんじやうハ全く此人の御手柄と申物。[ワル口]御手柄かしらぬがさのミ残ったものもないぞや。[ヒイキ]アンナ助四郎にかまハずと早ふ評が聞たい。[頭取]此度
白石噺 【年表】六ツ目〔七ツ目〕茶や場随分古代なる語り口、さしてむつかしきふし付もなく、詞をおもにかたらるゝ口中あんばいどふも/\。殊になまりなどハ余人のおよバぬ所。いや又御手にいつたものと、いかなものもかんじております。[ワル口]とてものことにあのなまりでお文様か聞たい。[頭取]とうざい/\。扨それよりいけんのあいだちと長いやうなれど、詞のつめ合持前ながら味い事/\。切掛合少しなれど御苦労。此跡の
墨染桜 【年表】三だん目などもきつとおもしろうござりました。全体世話事にかけてハ此人。其外いつぞやの合邦辻などハいらい人ハないそ。古物ても蝶〃八ツ目・極彩色天王寺村などけしからぬ出来。又平などハかくべつなもの、吃の工合ハ此人につゞくものハござりませぬ。しかし御心労のかけんか、よほとお声がひくうなりました。何にもせよ、たるミを見せず、撃て行るゝハ此人の軍配の上手。まづハ重畳/\。
上上吉 竹本政太夫
[麓組]こちの声大将ハとふじやい。[頭取]されバ麓丈、今での声頭なれど、又〃政丈味ミにかけてハ此席とぞんじられます。誠に去秋より京都の御つとめ、ことに受よきとの事。先ハ珍重/\。在坂の内も南芝居興行相つゞいたはんじやうの所いかなる事か御上京。[ワル口]めづらしくもない頭取の口上。此人の異名を箒大夫といふが、貴様しらぬかいノ。[頭取]又わる口仰られます。当地にて
紙治 【年表】ハ乳母にだかれた子迄が申程の事。其次
亀山 【年表】二ツ目六ツ目ともこれも相かハらぬ大出来。[北辺]次の
おはつ 【年表】下の巻これも大当りか。[頭取]これハちとはつきりめかず。それよりしバらく御休。又〃
ひらかな 【年表】四段目よふござりました。其内南御興行、又〃
紙治 【年表】にての大もらひ、市太丈とハきつしりと仕た事。其後
信仰記 【年表】三だん目嶋丈の場、いかゞと存じておりました所に、打てかハつた大出来。それより
児源氏 【年表?】・
応神天皇 【年表】などきつと三段目かたりと申て不足なき御声柄。ことに近比一しほ御上達、しかし上り目のしるしか余程小音になられたれど、うまミの付た所が大将の【みばえ】とそんじられます。いや又
千本 【年表】四ツ目・
鬼一 【年表】の三ノ切・
忠臣蔵 【年表】九だん目なときついものでござります。[ワル口]ぢたい此人ハ西口の弟子か、岸もとやの弟子か。[堂島]
大塔の宮 【年表】ハきつい違ひやう。其上もゝ立からげといふ所からサア/\とかゝる所を詞にしたのハ何の事、拍子ぬけのした物。殊に口の短冊の間ハめつそうなちがひ、庄屋殿の座敷ぐらいに見へたぞ。[頭取]これハしかし横堀の箱ゆへか、左様に思召。物によつてハ又染丈も及バぬといふ位のこともござりましよ。何といふてもお声柄が大金。なんぞ紙治ぐらいの事が聞たい/\。
上上吉 豊竹麓太夫
[仲居出]最前からお前にかゝつてたいてい待ていた事じやないわへ。頭取さん、早ふ評しておくれいナ。[頭取]これハきつい待かね様。此度
白石ばなし 【年表】二場共又〃たつふりとした物。此人にハ耳をそバ立る気もせもいらず。敵役から女形迄それ/\にわかる所ハお声の一徳。いつぞや
千本 【年表】ノ三段めハきつい出来やう。其外
娘景清 【年表】なども出来ました。[ヒイキ]なんぼ浄るりが功者でも糸つむぐ様な声ハしんきなものじや。かうわかつてこそ浄るりなれ。[ワル口]なんぼ声が大きふてもふしの付た講尺ハたいくつなもの。そして近頃ハどこぞわるいか、語りとむなぞふなかたり様。[頭取]それハ此お人の流義。かたり出しハひくうござれと尻ばりに大きうかたられます。やはり筑前といふ所か。[ワル口]筑前ハ奥へ行程目がさめる。此わろハ奥程寐むけがさしてくるぞや。[頭取]さりとハどういヘハかうとよう仰られます。なんといふても当時の大鳥。分ることハ此人。四段目ハとゞめさいて居らるゝ。しかし近比巖柳出口ぐらいの事がなふて気の毒。なんそ花やかな事を待て居ます。
上上吉 竹本男徳斎
[頭取]チヤリの大将男徳丈いつでもうき/\としたお声。[組ヒイキ]うつぼハどふじや。最前からだまつて居れば付上りのした事じや。[頭取]成ほど組丈めき/\と御上達。今四海に羽をのす勢ひなれど、先顔も古くどこやら大鳥の場もござれバ此人から評いたしませう。此度
時代織 【年表】四ツ目宿がへの場、さりとハ大手なもの、女夫げんくハの間ちと女がたの口跡が。[ワル口]粂太郎といふのか、由男と鯉長ハ毎度聞事なれどきつふ似もせぬぞや。[頭取]成ほどこれハたび/\聞ます事。大切斎藤・松永つめ合迄さのミこれハと申ほどのことなし。ふし付ハいつとてもひどいもの。
おそめ 【年表】の座摩の場ハ腹をかゝへました。何といふても大場な所ハ故政丈の俤、けづつてもけづられぬ所、先ハお目のうといに御苦労/\。
上上吉 竹本組太夫
[ヒイキ]待ッて居た/\。[ザコバ]八兵衛ハどふするのじゃ。[八重組]此いづ平ハどふじや。やれ/\たいくつや。[駒組]二代の後胤駒太を出してもらをぞ。[頭取]そふ口〃に仰られてハ叶わぬ。先近比の花方、さて/\急に此様にも上ヵるものか、とんと一トいきの新ろうじといふ肌、何を語られても受よく、まづハ御仕合。[ワル口]ナニイトヤラも久しいものじや。おいてほしい。[うづほ]こまごといふたら引ずり出すぞよ。[頭取]又おせり合か。さりとハおしづまり下され。扨此度
時代おり 【年表】六ツ目きつう出来ます。これ迄新物の内、此くらいの場ハ聞はじめ、てついりとよふござりますが、ちと場過たやらどふか。さびしいやふで。[ワル口]さびしいばかりならよいが、人形数が多いと両方でしまい口にハ惣/\詞が一ッになつて、皆組大夫に成ッてのけた。[頭取]成程其所もござります。やはりどこやらに持前の世話の気が有て気のどく。さりながら聞人ハ悦バれます。[げいこ出]そふはかいな。わしや
おふさ 【年表】のゐけん場ハひどふうれしかつたハへ。[さじきより]
もみぢがり 【年表】ハおもしろかつたなれど
北の時 【年表】ほとにハ思ハなんだ。[頭取]しかしこれも諸人の受よく、おふさハ綱丈の時よりもまさつた、はん昌。[上町]ゐけんの間を多く詞にしられたゆへくすんておもしろふない。奥の方ハさつはりとしてよい所もあれと、綱太とくらべてハ一体がいかぬぞや。[頭取]
おそめ 【年表】ハきついお手がら、近国へもひゞく大当り。しかしかたり口ハやはり前方の方がようござる。北にても
鬼一 【年表】の二切なとハ出来ました。どふぞ天神記三の口・
近江源氏 【年表】七つ目などの様に頼ますぞ。なんといふても素異(しろくろ)なしに承知させるといふハ及バぬ事。此上にも今少し例のふしをげんじてのびぬ様に語られたら此上ハあるまい。とかく諸見物の声のかゝるハ此人/\。
上上吉 竹本三根太夫
[八重組]此八重太ハどうじや。新(にい)の口村ハ聞なんだか。[頭取]八重丈も段〃御上達なれど、又〃修行の具足した所ハ上座と見へます。[ヒイキ]しれた事、こちらハ組太より上座と思ひの外、こゝへ出したハちと胸がわるい。[頭取]左様仰らるゝな。扨これより評いたしませう。此度
時代織 【年表】五ツめいつもながら去とハ苦のないかたり口、いつもながら引さげての口中工合、爰らがきつと功の印、違ふた物でハ有ぞ。此場ハぜんたい文蔵丈のお世話と承つたれど、染丈・文蔵丈御出座相さたまらず、其内のび/\にもなれバ弥七丈のお役目と相成、随分出来ましたなれと、この上にも文蔵丈ならバ何程か面白かろうと、これのミ残念。定てさもあらバおそらくハ此場につゞく所ハ有ルまいに、かへす/\もおしい事/\。[天満]一体此わろ誰を真似るといふ事なく、ことに我流もなし。只何となくくせなき所ハきつと気前なれど、やはり組太のやうにくせ有が徳かい。浄るりハきつと黒うこされと素人受が今一いき、どうぞ工夫して新ふしをあミ出されたらひどい物で有ふに。残念。[頭取]新地にて
安土 【年表】の四の切など大キな場を出かされ、古物でも
阿波鳴戸 【年表】・
大塔宮 【年表】三の口なとけしからぬ出来様。妹背山二の切なども綱丈にまけぬくらいのこと。南にてもいつそや
塩飽 【年表】三の中などぜんたい先生の口取なとせらるゝと、いつでも当ります。月に村雲花に嵐とやら、けれん谷の受がなうて残念。何ハともあれ、とかく苦のない所がまた格別/\。
上上吉 豊竹八重太夫
[新地]待て居た/\。祝ふて一ツ打ましよ。[京川東]やれ/\泉平スか。貴様の評判聞たさにはる/\下つて来た。扨御下りの後も又〃梅川の出がたり大当りと聞、悦んで計ゐたぞ。[頭取]お待かねハ御道理。扨此人江戸表御下りょり相つゞき評よく、京都にても
おどけ曽我 【年表】・新の口村出がたりなど大当り、塩町も消る計の事。それより御下り、又〃右出がたりにて大もらい。次に此度
白石ばなし 【年表】十一冊目、これハ則江戸にてのお役場、いつもながらさつくりと気がるなかたりやう。[北辺仙人組]めつたにほめるがこちとハしミ/\と聞ぬが、前方両三度も聞たれど何かたつてもめつたに釣上ヶてきバる浄るりじや。[ワル口]猿廻しの親仁と忠兵衛の親仁とハ兄弟でも有たかいな。[頭取]わる口ハ御免。なるほどうれい場ハ口にあわねど梅川ハ出来ました。其外チヤリ場にかけてハきついもの。いつぞや
融大臣 【年表】二の切などハ出来ました。いつてもかういふかたり口がよふござる。今少ししつとりと頼ますぞ。なんでも此人の場といふと見物の悦び、当芝居での利(きゝ)もの/\。
上上吉 豊竹駒太夫
[頭取]さて/\すさましい女中でハ有ルぞ。[ワル口]此人ハあこや修行せらるゝと聞たが、もはや何ケ国ほどお廻りなされた。[堂島]新地にて
あこや 【年表】出がたりの時ハ相人が染太ゆへか、どふやらあこやが高入道のやうにおもハれた。[ヒイキ]扨/\よふわる口いふ衆じや。なんぼ其様にいふても太夫に二代つゞくハ此人ならで外にない。サアぶつとでもいふて見やしやれ。[頭取]先〃おしづまり下され。さて駒丈改名以来段〃と評判よろしく先ハ重畳。定て御親父も草葉のかげから御祝着でござらう。此頃江戸表より御下りなされ、打つゝきうけよきとの事、何角さし置、けつかうな御声とんと御親父に生うつし。しかし何をかたられても同じやうなと申評判、ちとお気付られませ。前方南にて
由兵衛 【年表】の時、茶や場ハ当りました。此上にも御功者が付たら浪花の親玉とよバるゝハまたゝく内。
上上吉 竹本咲太夫
[頭取]近比次第に上りめが見へます。此度
時代おり 【年表】三ツ目さのミこれハと申程の事なし。八ツ目奥染丈とのかけ合、これも大てい、しかし手づようてよし。[ワル口]歌七の物まねハおいてもらいたい。[頭取]
お染 【年表】の下ノ巻ハ出来ました。いつぞや
塩飽 【年表】三の口なとよろしく、北にて
布引 【年表】三の中なとも出来ました。
安土 【年表】の二ノ切大キな場ゆへか、ちとかいない様にも有たれどよふ出来ました。せんたい声柄ハよし、浄るりも功者にハあり、きつとたのもしうござる。ちとばゝの声がかわひらし過ます。お気付られませ。随分御出情/\。
上上吉 竹本梶太夫
上上吉 豊竹時太夫
[頭取]扨御両人共近比お顔を見受ませぬ。梶丈ハ北新地
紙治 【年表】きりにて御退座、それより稲荷御興行、其節もさしてこれハと申ほとのことなし。ちと御出勤有てなんぞ当りを待ます。
時丈も此頃より京都へ御上りとの事、どふか入大夫といふた時とハちと寐入ました。大事の所じや。随分御出情なされ。いつぞや
月見松序切 【年表】ハ出来ました。どふぞ此太夫ともお成なされ、御上達をいのります。
上上吉 豊竹頼太夫
上上吉 豊竹源太夫
[頭取]さて一同に申ませう。頼丈ハ此度
白石ばなし 【年表】五ツ目在所の段きつと上りめが見へました。[所より]女形の口跡が格別にいやらしう成たぞ。七ツ目茶屋場かけ合秋夜のお役甚たくつた詞遣ひ、ちと念入給へ。八ッ目の口兵法の場とかくおかしげなすかしが有て気の毒。[頭取]何にもせよ、此度ハ出来ました/\。
源丈も稲荷御興行、殊に後見とやら別而御苦労。
鉢の木 【年表】ハ出来ました。
恋女房 【年表】ハ大てい。[ワル口]此人ハ乳母がわるふ育てかあまへる様な。[頭取]しかし近比打つゞき御出勤ゆへか、大ふん上りました。とかくなんでも受よく御仕合まづハ目出たし/\。
上上吉 竹本弥太夫
上上吉 竹本文字太夫
上上吉 竹本是太夫
[頭取]扨お三人共一所に申ませう。弥太丈ハ北にて
昔八丈 【年表】白木や受よくお仕合。
安土 【年表】の序切も出来ました。何分お声からが丈夫にてよふこさりますぞ。
文字丈ハ近比の掘出し。此度
時代おり 【年表】にて二ッ目よいぞ/\。六ツ目口も少しなれとよし。此跡崇禅寺屋しきの場ハとんと染丈のあんばい、きつう出来ました。何にもせよ、大きうてよう通ります。しかし声がぎん過てかたうござる、お気付られませい。先ハ受よく御手がら/\。
是丈ハ此比御上京とのこと。定て古郷なれバよい噂と存る。ずいふん器用なる仕出し、ちと上手めき過たる所有との噂。北にて
かしく 【年表】の上の巻ハひどう出来ました。いつかど詰かたりと聞へます。其外なんでもかたりこなす事ハひどいぞ。外の太夫衆をうつす事も箱と見へます。
上上吉 竹本中太夫
上上士 竹本錦太夫
上上十 豊竹礒太夫
[頭取]中丈ハ去秋より御上京とのこと。いつぞや北にて
三日太平記 【年表】三ッ目の口しつかりとしてひどい出来様。南にて
紙治 【年表】のちよんがれもよふござりました。随分お声がらもよし。今の間に御出世てござらう。
錦丈ハたれぞと思ヘバの太夫丈、先ハめてたし。師の名を受るとハ何にもせよ、御満足。此度天神へのお勤と承る。随分御出情/\。
巻軸功上上吉 竹本春太夫
[上町]最前から長う細う待ッて居た。[頭取]お待かねハ御尤。今での老功竹本の親玉、惣巻軸に居(すへ)ました。いづれもさま申分ハござりませぬかナ。[惣〃]誰がなんといふものが有ロ。早う評してもらを。[頭取]近比ハお目もうとく御耳も遠いとの噂なれど、芸道にかけてハ又〃昔の俤相かハらず。いつとても聞あかぬお声。[老人]此方共がわかい時分にハ花やかな事で有たが、去〃年新地顔見せの時、妹背山かけ合を聞たが、とうじややら紛らハしいやうで、きこへにくかつた。[頭取]それハなんと申ても御老衰のかげん、いつぞやいなりにて
花景図 【年表】の道行ハお家ながらも我を折りました。この比いなり・天神かけ持のお勤、老足の御苦労。いなりにて
北条時頼記 【年表】の道行ハかんしん。
ひらかな 【年表】の四だん目どふもいへませぬ。なんぼう御年よられても功と申ものハかくべつ。どふぞいつまでも置たいハ此人、なんぞ目ざましいことが聞たい/\。
浄留理操評判闇の礫 下の巻
三味線の部
大上上吉 鶴沢寛治
[市太組]ごりやどうじや。[頭取]どふでもござりませぬ。今の世に誰が点の打人なき古兵(ふるつハもの)。今にかハらぬ撥うでの達者、音(ね)のゆたかなる所にうまミあつてこせついたる事弾す、まことに大立ものとぞんじますが、いつれもさまなんと思召されます。[惣〃]なんとゝいふたら其通り、ぶつともいふものハごんせぬ。[頭取]此人そのむかし亀二郎と申せし時よりひとかたならぬ芸と思ふておりましたが、岡目八もくとやら、ちがハぬものでござります。[けいこや]なるほどきつと流義といふ所のない芸ゆへちよと聞にハぬかつた様にもあれと、聞しめるとちがふたものでハ有。しかし近比ハ実(ミ)計て花が失た様な。[頭取]成ルほど其所もござりますれど、これハ古代な弾方ゆへ左様思召はづなれども、此跡の新(にい)の口村なとハしつかりと手厚いものでござりました。此度
白石噺 【年表】六ツ目始終こうとなる弾やうながら、どこやら殊勝なる所有て味いこと/\。ぜんたい古ものなどハなんでもよく呑こんでござるとの事、殊に文蔵丈とハ別而御懇意との事。なんぞ連弾で手ものなどが聞たい。定めておもしろい事でござらふ。いやまた嶋丈などハ此お人よく呑こんだものでハあるぞ。なんといふても大鳥/\。
大上上吉 鶴沢市太郎
[名八組]こちのハどふじや。[弥七組]当時の日の出、弥七ハどこに置のじや。[頭取]先お待くだされ。扨市太丈久/\お顔を見ませなんだ所に去〃年御上り、竹本義大夫芝居へ御出座。政丈と
紙治 【年表】にての出合、新地にて伊八丈のひかれた所を撥かずを入ての弾方。[けいこや]あまりにきやかで繁太夫ぶしの間、小春のうれいがしまんやうな。[南辺]かけごへのやかましさハとんとちんづきやのやうにあつた。[頭取]なれども此方がまづ場の受よく、次に
菅原 【年表】二の切さりとハよふまハる手でハ有ぞ。身ハあらいその所ちと仰山な様にて。[さじきより]ひんのよい場をちとじやらけた。おとなげない弾やう、紙治と同じ事で有たぞ。[頭取]しかし
応神天皇 【年表】ハしつかりとしてすごう聞へました。其外なんでも手を付る事ハきついお上手と承る。前方の
宗玄 【年表】などハ此お人のおはたらきとぞんずる。其上下まハりの太夫衆をかたらすことの上手さ、手の廻る事ハ此人につゞくものハござりますまい。[ワル口]あまり手がまハり過るゆへ、国太夫めいて来るぞや。[頭取]其のちいかゞ仕た事や、古郷(こけう)へ御下りとの事。近比京都にて又〃政丈とお出合と承る。定メて目ざましいことが有たでござらう。何にもせよ、拍子有てかたりよそふに思ハるゝ。とかく諸見物の声のかゝるハ此人の一徳/\。
上上吉 鶴沢名八
[ヒイキ]やれ待かねた。いざこざなしに評仕(し)てもらを。[頭取]今での音(ね)がしら名八丈。道行景ごとにかけてハこのお人のこと。近比ハどの芝居へもしミ/\とお勤なく残ン念。承れバ駒丈と同道にて江戸へお下りとの事。いつぞや稲荷にて春丈と
花景図 【年表】道行ハきれいな事/\。其後新地にて駒丈と
あこや 【年表】出がたりのお勤、駒丈とハ御親父からの合方ゆへか、又/\しつくりとしたもの。[ワル口]しつくりかしらぬが北でハ染太にいぢられてなんにもよふ弾(ひか)なんだ。[弥七組]音(ね)ハきれいなが弾方ハ弥七の方がおもしろかつたぞや。[頭取]それハめい/\のひいき/\と申もの。また/\堀江にて麓丈とよほどが間御出合にてござつたが、いつとても此人の沙汰ハよふござつた。
巖柳 【年表】などハきつい出来て有ッたぞ。何でも東流ハ此人。いつ聞ても聞あかぬきれいさ、花やかなことの。てんとれ/\。
上上吉 竹沢弥七
[頭取]当時のきゝもの弥七丈、どなたもお待かねとぞんじます。[上町]いふまでもない。早ふ評してもらをぞや。[頭取]其むかし岸三郎といふて筑後御出勤の時より生得器用成ル手筋と思ふたに違ハず追〃の御出世。
三日太平記 【年表】より御退座、それより弥七と改メ東へ御出座、駒丈・嶋丈を手にかけられてよりひとしほ御上達。其後江戸へ御下りにてよほどが間の御勤いよ/\受よく、久/\にてお上り、直様いなりへ御出座、駒丈と
あこや 【年表】の出がたりハきつう当りました。それより新地へ御入座、いかゞしたことか、ヘキリの内へ御這入リ、政丈と
亀山 【年表】にての出合。[北辺]百物語の場ハきつう花やかな弾やう、外の弾人(ひきて)へ当テ付るやうで、余り仰山に有ッた。[頭取]其後
鐘場 【年表】などもよく、それより政丈御退座にてよほどが間ハ端場をお勤の所、こがねハくちずとやら組丈と
小栗 【年表】にてお出合。よふ出来ました。ノリの間などすごふ聞へました。[ワル口]すごいはづじや、三味の音(おと)ハせなんだもの。[頭取]其くれ顔見せ
山うば 【年表】にて組丈・才治丈三人の大当り。[北より]
大塔宮 【年表】三ノ口ハ誠にはんなりとしてよかつたぞや。[頭取]其翌年南へ御出座、又〃政丈との御出合、段〃受よく今でハ番付にも残らず竹沢と相なるほどの御出世。[けいこや]
お染 【年表】ハ全く御両人の御手柄。此度の
時代おり 【年表】も定て御骨折とぞんずる。五ツ目六ッ目共よふ付ました。[頭取]ぜんたい手を付ることハ御上手、物覚ヘハ尖し、大立ものといふても不足ハなけれど、今少しいやミをお弾なされな。なんといふてもこるが上手とやら、相かハらずきつう御精が出ますぞ。
上上吉 鶴沢鬼市
[頭取]いつの間にやらきつい上ヶ様、先生のお助かりでござらふ。[けいこや]成ルほど今又蔵丈のかハりともいふハ此人、新地にて
安達原 【年表?】さいもんなどハ味い事て有ッたぞ。さいもんの内こけて弾く思ひ入きつと受て居ますぞ。[ワル口]此人ハ折〃こけらるゝゆへこれも思ひ入レとハ気が付ヵなんだ。[頭取]いか様あまり手の廻り過るゆへか、折ふしこけ音が聞へます。しかし先生の風俗ハよく取ッてござる。[聞じまん]此人ハ三根太とハきつい合方と見ゆる、二人ともちと足早なゆへか、きつしりと仕た物。[けいこや]三から二へのテツヽンハ此人の箱か、さりとハするどいものじや。[頭取]今染丈でもよく呑ミこんだハ此人、一トいきハどふか寐いつたやうに有たが、近比上りめが見へて来ました。今少し落付て弾やうにし給へ。ちとせハしい様にござる。若うハ有。今一灘(なだ)越(こ)されたらきつと片うで/\。
上上吉 鶴沢三二[頭取]同じくけしからぬ御出世。前方利吉といふて堀江御出勤の節ハさのミこれハと申ほどの事もなかつたが、どふ御修行なされたやら、いつのころよりめき/\と御上達。いつぞや新地東芝居にて政丈と
児源氏 【年表】三段めきつう出来ました。其後又しバらくお見受申さなんだ所、又〃堀江へ帰り新参麓丈相方となられ、追〃の上りめ、其砌
千本ざくら 【年表】など出来ました。[けいこや]承れバ文蔵丈御門人となられたと聞ました。随分御出情なされ。しかしちと三味せんかこうと過キてめりはりがないぞや。[頭取]さりながら音のゆたかなる大場な所ハ立者らしき工合が見へます。どういふても末たのもしいぞ。
上上吉 鶴沢重三郎
[頭取]此度
時代おり 【年表】四御目達者によふお弾なさるゝ。三ツ目咲丈の場もよし。八ツ目の奥かけ合御苦労。[ワル口]大将の跡できくゆへか、よい音なれど、どふかお杉お玉のやうに聞へるぞ。[頭取]なんでも怠りなく御出勤なされて修行し給へ。近比ハ西流にかハりました。何にもせよ、ゆるやかに聞へて聞よいぞ。
上上吉 鶴沢伊八
[頭取]近比ハ見受ませぬ。承れハ京都へお出との事、又〃政丈との御出合定メてよろしきうハさとそんずる。いつそや北新地にて
紙治 【年表】ハ当りました。繁大夫ぶしの間の手をぬいての弾方きつと受ました。ぜんたい大手なる仕出し、立者とよバるゝハ今の内でござりましよ。ちとお下りなされ。待て居ます。ずいぶんおこたりなき御出勤を頼ますぞ。
上上吉 鶴沢甚蔵
上上吉 鶴沢亀次郎
[頭取]甚蔵丈ハ北新地御出勤、始終弥太丈と御出合。
安土 【年表】序切なと出来ました。なれとも三味がちとくすんで来ました。今少し花あるやうにたのミます。何といふてもどこやらに功の見ゆる所ハござるぞ。
亀治丈ハ相かハらず当芝居の御勤、重畳。近比しばらく中絶してござつた。又〃この比より御出勤。此度
白石ばなし 【年表】五ツ目さしたる事もなけれど出来ます。[けいこや]まへかた彦丈といひし時竹本座御出勤、鬼市丈と一所に御入座と見へました。いつの比よりか寛治丈門下となられ、当芝居御勤、だん/\先生のおもかけが見へて来ました。ずいぶん御出精にて鬼一丈に追付やうになり給へといのるのミ。
上上吉 鶴沢寛三
上上吉 冨沢藤治郎
上上士 鶴沢正蔵
[頭取]さてお三人とも一同に申ませう。寛三丈ハいなり御勤、当芝居での立テ三味せん。別して御苦労。
鉢の木 【年表】ハ当りました。手もよく廻る。きれいにもござるぞ。しかし折ふしハちとけれんが過キて気の毒なれども此方が徳かい。此度新物定て御骨折と存る。
藤治丈も同じく当芝居御出座。いつぞやよりよほど御休と見へました。どふやらちと寐いりましたやうにもあれど、お達者ハむかしにかわらず。とふぞおこたりなく御出勤をたのミますぞ。
正蔵丈ハ南御勤。此度
時代おり 【年表】文字丈の御役、大分上りました。けつかうな御舎兄ハあり、ずいぶん精出して修行なされ。追〃御出世でござらう。
巻軸上上吉 野沢喜八郎
[頭取]むかしより御名人の御家。近比ハいづかたへも御勤なく、残ン念。前方大坂おもて御下りの節、北の新地にてしバらく染丈との御出合、何やかやおもしろい事もござつた。[けいこや]南にて
塩飽 【年表】の節二ノ中の御役春丈の場出来ました。しかし三味せんにちと気がないやうにぞんずる。今一トいき気をもたしたら此上ハあるまいに、残念。[頭取]堀江にて
妹背山 【年表】などもよふござりました。なんといふても達者な所ハ功のしるし。又〃動きのとれぬ所がござる。どふ見ても京都での大将/\。
人形之部
大上上吉 吉田冠蔵
[才次組]若手の大将こちのハどこに置クのじや。[門三組]親仁ハどふじやの。[頭取]先お待なされ、追ッ付いさゐがわかりましよ。先以冠蔵丈むかしにかハらず。さりとハ手づよいもの。新地にて
三日太平記 【年表】の久吉きついもの/\。六ツ目絵像に給仕の間、さりとハおどろき入ました。いつもこういふ形(かた)で遣ふてもらいたい。九ツ目やつこ姿の出端ふり出す手先キの所ちと見へ過キたれどうまいこと/\。[場より]
亀山 【年表】の時刀や卯右衛門ハおとなしうてきつい出来やう。[ワル口]なんじやしらぬがあまり達者過キてなんでもあバれものになるぞや。[頭取]成ほと腕ハ達者なこと。しかしあまりよい身を遣ひ過ゴされてちとうつとしい。南にて前方白大夫ハ先ン師のおもかげ有ッてきつと承知/\。[ワル口]それほど腕が達者なら涼(すゝミ)で栄五郎が仕てほしい。なんしやしらぬがとかく紋日(びもん)受じやぞや。[頭取]わる口仰らるゝな。何ンといふても今での大人形遣ひ、此度
時代おり 【年表】嘉平治・道三など出来ました。しかし道三ハあまり腰がかゞミ過てちと見へがいかゞしくなれどもつよい事/\。先ン年吉田の一類もめの節、此人一人跡にふミとゞまり、竹田と苗字を改メてのお勤。さりとハ忠臣、今の冠子丈にもおそれぬハお顔の古いだけ、こゝらを見てハ先上座におかねバならぬ。先ハおこたりなき御出勤、御苦労/\。
大上上吉 吉田才治
[ヒイキ]待ッて居た/\。[頭取]お待かねハ御尤。いやまた若手でこれほどの人も外にハござりませぬ。先何役てもゑりきらひのない所ハとんと眠獅といふはだ。新地にて
亀山 【年表】の関助・
おはつ 【年表】の長蔵などハきつい大出来。[見巧者]関助ハ口の吉兵衛の間より切の奴の時はおどろき入ました。立などハ冠子にもまけぬくらいの事。長蔵ハ只なんとなくたのもしう見へたぞ。[頭取]顔見せの
山うば 【年表】ハきつい出来やう、ちと当気ハ見へたれど、場の受よく、
小栗 【年表】の浅香などもよふハ有ッたが、注進の間ちとてれたやうに見へて。[さじきより]ぜんたい此人けしからぬ器用筋なれど人形のうごかぬ間にどふか真(しん)がないやうな。近比御病身ゆへか、ちと御工夫あれかし。此上地の間人形に真(しん)のあるやうに気を付られたら、又とつゞくものハないぞ。[女中]
うすゆき
【年表】清水場の出遣ひ妻平ハ花やかでひとうよかつたハいな。[頭取]成ルほどこれハいづれもよふ出来ました。兵衛のおくかたも大出来。[ワル口]女がたハお山もけいせい、お姫さまもけいせい、頭ハ男女ともに飛人形じやぞや。[頭取]わる口ハ御免。近比南にて
おふさ 【年表】の時徳兵衛と重井筒の女房二役とも出来ました。
お染 【年表】の節油やの後家うしろを見せられた時ハ毎度ながら諸見物の大悦びでござつた。此度
時代おり 【年表】弁のつぼね・あを葉・宗太郎・久吉いづれも出来ました。とり分二ツ目にて女がたの立ハ場の受よくお仕合。其外何を遣ハれても素異(しろくろ)なしに声のかゝるハ此人。ことに所作などもひどふ上りました。子もりの所作おぼこがしらの三番叟などハきつと/\。とりわけ新地にて
三日 【年表】 の時おさまのかしらハよく遣ふたもの、格別御苦労でござつた。あまり小手が利(きゝ)過キるくらいのこと、何にもせよ、今での利(きゝ)もの。器用なる事ハつゞくものハござりませぬ。ずつと出らるゝと老若男女が才治さま、冨士屋/\。
上上吉 桐竹門蔵
[十五郎組]お山の名取重五郎ハどふじや。[頭取]成ほどお待かねでハござりませう。なれど門蔵丈近年めき/\と次第の上りめ、近比ハお山も大分出来ます。[ヒイキ]ぐど/\いハずと早ふ評を聞してもらを。[頭取]前方
塩飽 【年表】の時四国へんろハひどいものでござりました。三の口など一まいで有たぞ。新地にても
亀山 【年表】にて又四郎、
おはつ 【年表】の九平次などさりとハけしからぬ出来様。[見巧者]近比冠子丈に付てより利(きゝ)小手をきかさず遣ハるゝ所がきつと上りめと見ゆる。殊に御親父のおもかげあつてきつう見上たぞ。
もみぢがり 【年表】の惟茂なども出来ました。
松王 【年表】なともさしたることもなけれど場の受よくお仕合。[ワル口]前方ハ由男の身ぶりが毎度出たが、近比ハあまり見あたらぬぞ。[頭取]なんといふても若手のきゝもの、今少し人形に気がないやうに見へます。爰の所へお気つけられたらなんにも申分ハないぞ。まづハ受よく御手柄/\。
上上吉 豊竹重五郎
[頭取]さていづれもさま、お待かねのでござります。[ヒイキ]おやまにかけてハ何一ッふそくなき立者、いかな石部金吉でもあぢいな気にさすハ此人。[ワル口]ふそくハないかしらぬが、女かたハ何でも脊むしになるぞや。[ヒイキ]あごたゝいたら引キずり出すぞよ。[頭取]さりとハもうよふござります。此人前方竹本座御出勤の節、
つゞれの錦 【年表】おてるなとハきつい出来。ほんに其かあいらしさ、
椀久 【年表】のおさんも出来ましたが、いつぞやより(十一ウ・十二オ見開挿絵 太平記忠臣講釈
※※)当芝居へ御出座以来上見ぬ鷲とやらで、遣ひ方に大分我まゝが出ますやうな。ちと御気付られませい。[見巧者]成ルほとお山ハ藤井流の骨肉にて申分ハなけれど、頭取のいふ様にちと折/\ハ無理な所が有様な。しかし此度
白石ばなし 【年表】宮城野・おその申分なくよふ出来ます。
融大臣 【年表】の時ばゝ・
蝶〃 【年表】の長五郎の母などハきつい出来で有たぞ。うちかけさバきハきついもの/\。[頭取]近比ハあまり出づかひをなされぬ。
かんたん 【年表】の出づかひハきつひ出来でござつた。なんでも器用なる手すじにてたのもしうござります。ずいぶん胴ぐしにお気付られ。ちとゆがむやうに存る。どういふても場の受よく声のかゝることハ当芝居での第一/\。
上上吉 若竹友五郎
[頭取]当芝居での立者友五郎丈相かハらず手びしいもの。どう見ても先ン師東工丈のおもかげ。此度
白石ばなし 【年表】宇治常悦・舟問屋くま二役とも出来ます。[ワル口]常悦にて八ツ目魔術の所ねからすごい気色ハないぞや。前方冠蔵丈当芝居へ出勤の時ハどこに居られたやら知レなんだ。[頭取]わる口ハ御免ン。何と申ても先師東工丈死去の後ハ当芝居にての一チ筆、御手柄。しかし御舎弟里環丈御死去、定メてお力落と存る。どうぞ相かハらず御出勤にて何ぞ目ざましい事を待ッて居ますぞ。
上上吉 豊松元五郎
[頭取]相かハらず当座の立者、また/\うごきのとれぬ所ハさすが功のしるし、違ふたものてござります。此度
白石ばなし 【年表】丸ケ瀬秋夜・紺屋弥左衛門・庄屋七郎兵衛三役とも先大体。[見巧者]秋夜ハどふしたものか、あまりおとなし過キて反逆(むほん)の棟梁とハ思ハれぬ。作意のあんばいか、碁の場などもぬるふ見へました。[頭取]成ル程こゝらハきつと見所と存ます。いつぞや
伊賀越 【年表】の時又五郎のお役ハとんと奥山でござつた。千本桜の権太なども当りましたぞ。其外お山なども近比ハ大分やハらかで見ようござる。どういふても古兵(ふるつハもの)/\。
上上吉 吉田文蔵
[頭取]此人久/\東武御修行にて去〃年お上り、南竹本座へ御出勤。さて/\きつい仕上やう、
応神天皇 【年表】にて衛士の助などハ出来ました。其後新地へ御入座、
かしく 【年表】の時喜平次、
安土 【年表】にて久吉・信永いづれも丈夫にてよし。
文蔵てう/\
【年表】にておせきの役ハ大てい。しかし女形ハちとぎく付たやうにて見にくうござる。どうぞ今少しやハらかミを付たいもの。[見巧者]北にて
あこや 【年表】の時重忠の役、刀を杖にといふ文句、刀を杖につきおとがいをもつて行かれたハどふした物。さりとハあまり正直過てよろしからず。[頭取]此比ハいなりへ御勤、
鉢の木 【年表】出遣ひハ当りました。殊に当芝居にてハ立者、一しほ御苦労。
道念 【年表】などもよくござつた。何といふても気持の高いだけ全体に今一いきやハらかミが付たら申分ハござらぬ。なんぞ目さましいことを待ております。
上上吉 豊松東十郎
[頭取]近比相つゞき御勤ゆへ大分上りましたぞ。北にて
安土 【年表】の時蘭の方ハしつくりとしてよし。
厂がね 【年表】にて安の平兵衛などもよふござつた。[ワル口]そこら中であこやをつかハれたがいつ見ても同じおもしろなさ。無性にぴこしやことげさくなあこやじや。[頭取]わる口ハ仰られますな。南にて
真鳥 【年表】のおさく、
信仰記 【年表】にてぜさい女房など出来ました。[ワル口]ゆき姫ハ気ちがひかしらぬがきついあバれやう[頭取]いかさまこれハはつきりめかず。しかし一ッたいがよほど上りました。今一トいき心ンをこらし給へ。追付御出世でござらう。定めて御舎兄元五郎丈もお悦でござりませう。
上上吉 吉田真吾
[頭取]近比ハお顔を見受ませぬ。いつかたへ御出なされたぞ。去〃年ハ南御出座、
信仰記 【年表】にて侍従の役三の口などりゝしいこと。
男鑑 【年表】にて八十嶋これハと申ほどの事なし。とうぞ冠子丈に付て御修行なされたらよろしからうにざんねん。ちと足をとめて御出勤をたのミますぞ。
上上吉 吉田礒五郎
[才蔵組]当時の花かたこちのハどこへ出すのじや。[頭取]先お待下され。才蔵丈も追/\御出世なれど、先お顔も古くござれバ此人から評いたしませう。新地にてよほどが間御つとめ、
紙治 【年表】の小はるなどハきつう出来ました。ぜんたいどふした事か、此人のお山ハちとしゆんで見へます。しかし小春ハいつそそれでよふござつた。一体をちと花ある様にお気付られませい。[見巧者]
安達が原 【年表?】の袖はぎなどハよい御役目、きつと当りを取られそふな所じやに何の事もなく、どうじややら張合のないつかひかた、今少し気をもたしたらけつかうなお山遣ひじやに、残念。[頭取]これハいかさま御尤なる仰られ方。しかしおはつの時おらくハよう出来ました。随分御出情なされ。追付御出世でごさらう。何といふても受よくお仕合/\。
上上吉 吉田音五郎
[黒がり連]此わろを爰らに置くハさりとハやすいものじや。ひいきするじやないが、若手に今此くらいの人ハないが、最(も)ちつと上座に仕てもよからふに。[見巧者]なるほど小手もきゝ腕も達者にハあり、今一トいきこられたら急度立者になる事ハ見へて有に、もう大将しやと思ふて居らるゝか、堀江にても惣〃を下に見てゐる気前が見へるそ。爰らハまだ早ふござるぞ。師匠などやふじやと一ッ所に住て修行召れたらよろしかろうに、残念。[頭取]此人ハ吉田九八丈と申せし人の御舎弟と承る。此九八丈も器用なる芸にて有ッたが、おしい事ハ若死なされて残念。此人も相かハらず器用成仕出し。此度
白石ばなし 【年表】にて谷五郎の御役、在所の場などよく出来ますそ。先生冠蔵丈の俤あつて丈夫なこと、当芝居ても大分ン際(きわ)が立て見ゆるぞ、なんと申ても気もちがたくましうて末たのもしうござる。追〃おもしろいことを待て居ますぞや。
上上吉 吉田才蔵
[ヒイキ]どふやらこうやら生れた、委細かまハず評してもらいやんしよ。[頭取]さりとハきついお待かねやう。扨御舎兄に相かハらぬ器用成お人。次第に上りめが見へます。此度
時代おり 【年表】にて松永・赤松左衛門いつれも出来ます。松永も手強てよいぞ/\。此跡の
お染 【年表】にて勘六ハきつい大出来/\。北にて
亀山 【年表】の時中野藤兵衛など幕切てうちんの場いさぎようてよいぞ。とかく御出精が第一、立者と成ル事ハ見へてござる。御舎兄いつぞや三番叟御遣ひの時足ハ此人との事、けしからぬ出来やう、別而御苦労。なんでも兄御にかハらずうけのよさ、きつい愛敬/\。
上上吉 若竹武十郎
上上吉 吉田三吾
[頭取]扨御二人とも一所に評いたしませう。武丈ハ此度
時代おり 【年表】にて嘉平治女房のお役などしつくりと出来ます。此跡の
おそめ 【年表】などこれハと申ほどの事なし。一体がなんでもちとしゆんで老(をひ)くろしう見へます。御気付られませい。
三吾丈ハ三好松洛丈御子息と承る。御親父も竹本芝居にてハ功ある御家柄、相かハらずたのもしい仕出し。とかく先生のかハり役をなさるといつでも出来ますぞ。それゆへか、時〃ハかハり役にて毎度見物衆中ハだまされてござるぞ。北にて
はんがく 【年表】などハきつい出来やう。せんたい娘形ハなんでもかあひらしうござる。此比ハいなり御勤。
梅がゑ 【年表】も出来ました。段〃立者の【ミばへ】が見へてうれしいぞ/\。
上上吉 吉田虎蔵
上上吉 藤井大吉
上上吉 吉田乙蔵
[頭取]いづれも一同に申ませう。虎丈ハ是迄相かハらず新地之御勤、段〃上りめが見へます。一体器用なる仕出し。近比
安土 【年表】にて別所の御役、当芸にての立人形大分ン見上ました。
かしく 【年表】の時三吾丈と道行出遣ひ互に取かへての遣ひ方花やかにござつた。[ワル口]出遣ひの時ハ定めておしろい代をよほどはらハんしたで有ふ。[頭取]何といふても次第に上る手筋、随分御修行が肝要/\。
大吉丈ハ前方吉田大蔵と申せしお人。どふか近比ハどの芝居へもしミ/\御勤なされぬハ惜しい事。やはり才治丈に付て御勤なされいであたら事/\。此比いなりお勤出来ますぞ。ちと落付てお勤なされといのります。
乙丈ハ
時代おり 【年表】にて春永など出来ました。しつかりとして見よいぞ。道行の弁当持もおかしうござつた。怠りなく御出精/\。
上上士 若竹林三郎
上上亠 豊松国八
上上亠 豊松弥三郎
[頭取]林三丈ハ此度
白石ばなし 【年表】にて伊賀大七、にくいこと/\。何といふても古いだけ功が見ゆるぞ。
弥三郎丈ハ近比見受ませぬ。北にて
安土 【年表】の時吉六・三輪左衛門二役とも大分上りましたぞ。其外の衆中ハ口の目録にのせました。
巻軸
功上上吉 桐竹門三郎
[頭取]人形の巻軸門三丈相かハらず御出勤、どう見ても古兵(ふるつハもの)。又〃親仁やくなどハ外にいらい人(て)なき所、さすが御老功。なんでも壮年の時分ンより竹本座にての立者。先冠子丈御退座以後ハいつても立役をお取りなされ惣座頭と見へました。[見巧者]ぜんたい此人前〃より手しぶい遣ひ方、小手ハ少しきかぬ様にもあれど、一体人形のうごかぬ間にうまミあつて、もとより腕ハ余人ンにすぐれし大丈夫。今に其おもかげハかハらす、
大塔宮 【年表】の斎藤などハ此人におよぶものハ有まいと思ふ程のこと。別而(べつして)岩のはざまのといふ文句の時、扇を左リへ持かへ汗手ぬぐひを出し顔をおしぬぐふ所ハ何とないやうなれど、とくと見〆てハどふもいへぬ性根。きつと/\行キ届ますぞ。[頭取]いか様これハきつと見所と存します。
近江源氏 【年表】の時北条・和田兵衛の二役何レも大出来でござつた。とり分ヶ北条ハ八ツ目・九ツ目ともかんしんいたした。近比北にて
恋女房 【年表】の時江戸平のお役これハ前のお役にて只なんとなく平敵の遣ひ方さつくりとして出来ました。其外石井兵衛・舞づるや伝三などさしたる事もなけれど、どこやら殊勝なる所有、よふござります。当時いづかたへお出やら見受ませぬ。どうぞちと御出勤あつてなんぞ斎藤ぐらいの事が見たうござる。誰がなんと申てもうごきのとれぬ大立者/\。
惣巻軸
極上上吉 豊竹嶋太夫
[頭取]今の世にかくれなき浄るりの先ン生、最早一ッ世一チ代も相済、芸道も首尾よく御引キなされたれど、未相かハらぬ御壮健。殊に余人にすぐれし御好にて毎度町方の座敷などハ御勤故、度〃承るがお声がらと申、御達者ハ昔にかハらす、おもしろい事ゆへ何角なしに惣軸にすへました。此席のひつきやうしまりと申物ゆへ、かくハはからひました。御好士(ごかうし)がた思召もござらバ仰られてくださりませ。[惣〃]これハ頭取の大出来。きつとおもしろいぞ。とてものことに細評がしてもらいたい。[頭取]仰られいでも此方より申たうて/\なりませぬ。此人初床ハ竹本座にて
ひらかな 【年表】の時三の中笹場のお役、最初よりの大出来ハ皆人のしる所、其後
菅原 【年表】にてハ四ノ切けしからぬ大当り。それより打つゞき評判よろしき所
忠臣蔵 【年表】の時太夫衆中もめ合に付、此太夫丈と此人、百合太夫など一ッ所に東へ御出座、此時また/\
橋供養 【年表】にて四ノ切はじめよりの大もらい。其後
かしく 【年表】の新やしきなどもきつと/\。それより二度目の
和田合戦 【年表】の節若太夫と改名、大切に和歌八景の出がたり出来ました。それより筑前丈御引なされ、三段目お受取、初て
信仰記 【年表】のお勤大出来/\。其後もかれこれおもしろいこと多く、
官軍一統志 【年表】きりにて御退座、しばらくおやすミ。其内竹本座へ又〃嶋太夫と改メて御出勤、
廿四孝 【年表】三段目大出来。打つゞき
忠臣講釈 【年表】にて六ツ目・八ツ目ともあたりました。それよりも
阿波鳴戸 【年表】なと当りものかず/\ござりますれど。[ワル口]頭取のやうにいふてハあたりものばかりで一トッもわるいものハなけれど、鼻声なものをいひたてたらなんぼうあることか。まづ追とつて南にて
京ミやげ 【年表】のゐけん場、此時北の新地にて同じく此場染太もつとめられたゆへ、両方とも聞て見たが、染太から見てハ一ッ向(かう)やくたいで有ッたぞ。其外
三日 【年表】の七ツ目なども鐘太・染太におされてかげハなかつたぞ。[頭取]あたり・ふあたりハいかな名人達にも有リ内のこと、何にもせよ、うれい場ハ此人につゞくものハあるまい。[ワル口]うれいもあまり声がうま過キてきよくるやうにきこへることも有ルぞ。[頭取]どう仰られても大将にちがひハござりませぬ。今でも此人のかんばんなど出したら大坂中が大よろこび。ことに北・南・
京都 【年表】までも首尾よく一ッ世一チ代も相済での御仕合ハまことに比類なき芸道のほまれと尽せぬ春こそ目出度けれ。
作者而笑
辛丑九月吉日
尼崎町壱丁目
丹波屋助七
堺筋長堀橋半町北
増田源兵衛
竹豊故事全三冊
操芝居・浄留利・三味線・人形等の故事来歴くハしくしるし、並ニ
故人太夫衆中の噂評判。
増補外題年鑑全一冊
往古よりの浄留利の外題をあつめ、竹本・豊竹の初日、太夫受領・
出座・退坐の年月、出がたり・出づかひ、あやつり人形作意、両座
諸事のはじまりをくわしくしるす。
天明元年
道とんぼりしばゐ
おたのミ申ます
ほうせんじ
われらのぞミでござる
あれハめいじんたちでござりますの
さても/\
竹本
義太夫座
しのびのふせもの
吉田冠蔵
百せう五郎作
吉田才蔵
べんのつぼね
吉田才治
あぶらや庄九郎
吉田冠蔵
いくのゝひめ
若竹武十郎
はぎのかた
吉田勢蔵
あか松さへもん
吉田才蔵
女ほうあをば
吉田才治
松下嘉平次
吉田冠蔵
きのした兵吉
吉田才治
ゆづりごぜん
若竹武十郎
らうにん宗太郎
吉田才治
おだはるなが
吉田音蔵
豊竹
此吉座
谷五郎
吉田音五郎
くすのきふでん
松本久次郎
おのぶ
豊枩きく治
おせつ
藤井小八郎
九郎右衛門
若竹林三郎
そう六
豊枩国八
ミやぎの
豊枩重五郎
しうや
豊枩元五郎
くま川三平
若竹友五郎
いがだい七
若竹林三郎
じやうゑつ
若竹友五郎
ちつか姫
萩野吉十郎
こんや弥左衛門
豊枩元五郎
につたよしをき
豊枩国八