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【 芸壇三百人評 抄 】
芸壇三百人評 森暁紅 明治40.2
十六 竹本朝太夫
四角なふくれた眞ツ黒な憎くてらしい顔、楽な婀娜ツポイ美しい声、義太夫の土蔵と新内の垣根との間の道を成丈け新内の垣根の方へ寄って、時々其垣根へ首を突込むで、浮ついた年増を探すなど凄やの/\、おかやと万野のハナ唄なんときた日にやア思はずブル/\と震へますヨ、願くば置手拭に白ッポイ唐桟の袢天か何かで高座へ上ってもらひ度いネ、イヨー日本一富士松朝太夫。
二十 竹本昇之助
矢張り義太夫唄ひの方、而して言葉にあまり働きが有り過ぎ、身振りが巧み過ぎて、却つて情を欠く、十歳(とを)で神童も古い文句だが、ソーレソレ。
二十四 竹本殿母太夫
此太夫(たいふ)の百度(づんど)平内を再々聴くがお辻の老若が判らぬに苦しむ、ソリヤ決して新造では無いことだけは解つて居るがね、夫れに彼の子供の御詠歌がシビちてうをよういあまヨンペールの都々一調などは器用と云ふも余りありだ、さう云へば顔も似てゐる。
三十七 竹本朝重
タレ義太の下手糞なのが、朝太夫張の浮ッ調子で真打でムるは度胸が宜し、なんだとえ朝太夫を張る処が売物ですわかヒエーだ。
六十 竹本祖太夫
堅い、真面目な、渋い、けれども癖が有る、殊に其言葉に於て、如何にも物を喰ひ乍ら口を利く様に聞こゆるのと、今一呼吸(いき)考へてもらい度いのは酔ツぱらひのゲープ、併し夫れとて決してまづいと云ふのでは無い、余り旨いに過ぎた結果が、聞いて居て氣になるので有る。
九十六 竹本昇太夫
日の本昇太夫で大当てに当てヽ、軍服拵へで北廓へくり込みの、衣紋坂のおまわりさんが敬礼をしたと云ふ立振な体格、語りロはたゞ朗々たる美音だけのもの、聞きごたへの無い代りに肩のはらぬ義太夫也、こけ威しのチヨボなどには持てこい。
百十三 竹本小清
男女の太夫ひツくるめて今東京で義太夫として聞くべきもの此人のみ、と思ツて居るとそろ/\下坂の気味。
百三十四 竹本越壽
イヨーハイカラのでこ/\お嬢、義太夫見た様な事をやるネ、乙ウ口元をひねる処が嬉れしい、どうする/\ブル/\/\
百六十一 竹本文福
女義太(をんなぎだゆう)の瓢金物、あまりさわぎちらすと臭くなる、何んと云つても女也、程にして呉れぬと男がなやまされます、ナニ騒ぐツたつて掛合の時(とき)計りだと当り前よ
二百二十七 竹本小土佐
酷く婆アダレとなッたネ、鼻の障子のやぶけへ風のあたる様な声、段々澁くならずにくすぶッて來るは甚だ心細し。
二百三十二 竹本大島太夫
朝程のケレンは無けれど、矢ツ張り骨細く皮で聞かせる義太夫、別段に凡を抜かず。
二百四十四 竹本愛子
片づんだ筋張ツた語り口、婀娜ツポイ女振りを宜(よ)しとすか、どうも女義太(たれぎだ)は聞くようも観るものなり。
二百七十一 竹本鶴吉
女義太(たれぎだ)としては先づ上の部なるべけれど、底に活氣無く何処と無く淋し。
二百七十九 竹本伊達太夫
これ程の太夫(たいふ)として高座に落着きの無きは性分か知らねど損なり、鼻にカヽル音声悪るし、なまる/\、朝程に狂ふた上づりは無けれど矢ツ張り当世向きの働き充分にて、真の義太夫(ぎだいふ)とは、どうもねへ。
提供者:ね太郎(2005.10.10)