「昭和の名人豊竹山城少掾」書中の曲の音源リスト
仮名手本忠臣蔵 茶屋場
CD弥古靱錣八十静島越登越名つばめ辰清六4 NBTC-10
1924 ただし古靱は平右衛門
伊賀越道中双六 沼津
SP古靱清六3 ニッポノホン
832-835(1917.6) 2794-2797(1921.10)
SP古靱清六4 ニットー 1927.3
芦屋道満大内鑑 葛の葉子別れ
CD山城清六4 CF-2880 1947.8.25
加賀見山旧錦絵 又助住家
SP古靱清六3 ニットー335-341 1921.12
近頃河原達引 堀川猿廻
CD古靱清六3芳之助 NBTC-3 1922.5
LP古靱清六4猿太郎 SJL25020-21 1932
摂州合邦辻 合邦庵室
CD古靱清六3 NBTC-2 1922.1
LP古靱清六4 SJL25016-7 1930
双蝶々曲輪日記 引窓
CD古靱芳之助 NBTC-1 1923.7
絵本太功記 六月十日 尼ヶ崎
SP古靱清六3 ニッポノホン
3816-3819(1920.4) 3820-3823(1920.6) 3824-3827(1920.7) 3828-3831(1920.10)
2790-2793(1921.4)
SP古靱清六4 ニットー1840-1848
1926.1
LP古靱清六4 SJL25019 1931
一谷嫩軍記 熊谷陣屋
SP古靱清六4 ニットー 1916.12
LP山城藤蔵 SJL25028-29 1952.10
菅原伝授手習鑑 丞相名残
MC山城清六4 CAY9064 1947.8.23
菅原伝授手習鑑 寺子屋
SP古靱清六3 ニットー83-89,155-158
1921.4
LP古靱清六4 JL353 1934.12
LP山城藤蔵 SJL25031B1 1958 一部の抜粋
妹背山婦女庭訓 妹山背山の段
山城綱清六4弥七 NHK 1954.2
(1990.5.20時代浄瑠璃その魅力で一部放送)
良辨杉由来 二月堂
SP古靱重造 ホウガク 7971-7992(1934.1.26)
LP山城藤蔵 SJL25031A3 1959 一部の抜粋
SJL25016-31は至芸 豊竹山城少掾
NTBCは義太夫SPレコード集成 国立文楽劇場
大阪初春狂言
SPは復刻CDでも出なければ聞かれず、LPで聞けるものは
「琴責」は綱 弥七。 SP版(古靱 新左衛門)が復刻CDで聞けるのが有り難い。
「袖萩祭文」はつばめ(越路)喜左衛門。ニッポノホンのものは一部分の録音だが、古靱・三世清六とあれば、これも聞きたいものです。
(安原コレクション、国立文楽)
「野崎村」は古靭 清六(ビクター、(ニットーのSPは未復刻))、綱 弥七、松 清六、つばめ(越路)喜左衛門。
「嫗山姥」はなし。国立では越路が語っていますが(喜左衛門、清治)、織の語りでの踊りをNHKで放映したことがあります。
「三番叟」は土佐春子 松之輔吉兵衛。
「妹背山婦女庭訓・山の段」放送
[1]昭和29年5月2,3日(全2回)
NHKラジオ放送「山城少掾独演会」
背山=山城少掾・藤蔵
妹山=綱大夫・弥七・琴
寛弘(現・団六)
*素浄瑠璃。妹山、背山を各々一人で語る。
*2日は90分放送。前に綱大夫・弥七の「花渡し」が付き、「山」は「庵」までの前半60分。
*3日は後半、60分放送。
*昭和27年2月14日録音(「NHK音のライブラリ」資料)。
*井野辺潔氏は『日本の音楽と文楽』で「昭和三十一年のNHK録音」(P377)としているが、不明。
[2]昭和31年10月28日 NHK収録(放送は不明。放送はされなかったか?)
大判事=若大夫・綱造 久我之助=つばめ大夫(現・越路大夫)・喜左衛門
定高=綱大夫・弥七 雛鳥=伊達大夫(土佐大夫)・藤蔵・琴
団六
*芸術祭合同公演(東京・新橋演舞場)の中継。
*分裂後、同一狂言の中での両派競演は初めて。
*人形は、背山=大判事(玉助)・久我之助(玉男)、妹山=定高(紋十郎)・雛鳥(紋之助=清十郎)・小菊(紋寿)・桔梗(紋弥=玉松)。
*要するに背山は三和会の床に因会の人形、妹山は因会の床に三和会の人形。
*公演の様子については、渡辺保氏『昭和の名人
豊竹山城少掾』P246参照。
[3]昭和31年11月28日 NHKテレビ放送(50分)
大判事=若大夫・綱造 久我之助=つばめ大夫(現・越路大夫)・喜左衛門
定高=綱大夫・弥七 雛鳥=南部大夫・藤蔵・琴
清治
*芸術祭合同公演(大阪・産経会館)の中継。[2]の大阪公演。
*『文楽興行記録昭和篇』P253に雛鳥は先月と同じく伊達大夫とあるが、
井野辺潔氏『日本の音楽と文楽』P383にあるように、大阪では伊達大夫が休演して南部大夫が代演。
*放送時間が50分なので、「よう飾りが出来ました」から「水になったる水葬礼」までの45分程度の演奏。
[4]昭和33年3月23,30,4月6日(全3回)
JOKR(ラジオ東京)放送(各30分)
大判事=若大夫・寛治 久我之助=つばめ大夫(現・越路大夫)・喜左衛門
定高=綱大夫・弥七 雛鳥=松大夫(春子大夫)・清六・琴
団六
*芸術祭合同公演(大阪・道頓堀文楽座)の中継。公演は3月1日から23日まで。
*第1回はマクラと「花を歩めど」から「庵」まで21分。
*第2回は「ノウノウ雛鳥」から「三つ瀬川」まで25分。
*第3回は「川を隔てて清舟が」から段切まで25分。
*久我之助は津大夫・つばめ大夫、雛鳥は土佐大夫・松大夫のダブルキャストであったが、収録はつばめ大夫と松大夫。
[5]昭和36年4月30日 NHK教育テレビ放送「芸術劇場」(120分)
背山=山城少掾・藤蔵
妹山=綱大夫・弥七・琴
団六
*テレビ放送なので人形入り(水音や鶯の声、人形遣いの足音等も聞こえる)だが、
この時期にすでに引退している山城少掾の出演している本公演はないので、テレビスタジオでの収録と思われる。
*床の出演者は[1]と同じで、ミキシングのミス箇所や演奏そのものも全く同じなので、
[1]の録音テープを用いて人形を遣ったものと思われる。
[6]昭和38年5月5日 NHK教育テレビ放送「芸術劇場」(100分)
大判事=津大夫・寛治 久我之助=織大夫(現・綱大夫)・藤蔵
定高=つばめ夫(現・越路大夫)・喜左衛門
雛鳥=南部大夫・松之輔・琴 清治
*文楽協会第1回公演(大阪・道頓堀文楽座)の中継録画。公演は4月20日から5月7日まで。
*人形=大判事(玉市)・久我之助(玉男)・定高(亀松)・雛鳥(簑助)・小菊(文雀)・桔梗(文昇)。
[7]昭和46年7月27日 NHK−FMラジオ放送「ステレオ邦楽鑑賞」(60分)
大判事=津大夫・寛治 定高=越路大夫・喜左衛門・琴
勝平
*後半「花を歩めど」からの演奏。
(ただし「御検使受取下され」の後カットして「腰元共残らず川へ流れ潅頂」に繋がり、雛流しになり、
「彼の岸に」の後、大落シまでカットして「涙払うて」に繋ぎ、段切までの演奏)
*番組名のとおり、FMステレオ放送。
[8]昭和48年2月25日 NHKラジオ放送「邦楽鑑賞会」(60分)
大判事=津大夫・寛治 定高=越路大夫・喜左衛門・琴
勝平
*後半のみの演奏。
*[7]と同一の音源。当時、FMで放送したものを1〜2年後に中波(第二放送)で再放送することが多かった。例えば、
昭和46年11月30日にFMで放送された「本下」(文字大夫=現・住大夫・燕三)は、48年2月18日に第二放送で再放送されている。
[9]昭和57年7月4日 NHK教育テレビ放送「芸術劇場・文楽と歌舞伎による妹背山婦女庭訓
三段目」(180分)
大判事=津大夫・団七 久我之助=十九大夫・錦糸
定高=越路大夫・清治 雛鳥=南部大夫・燕三・琴
八介
*大阪・朝日座の中継録画。公演は4月10日から26日まで。
*「見合はすばかり遠合の」から段切まで(85分)。
*人形=大判事(勘十郎)・久我之助(清十郎)・定高(玉男)・雛鳥(簑助)・小菊(和生)・桔梗(勘寿)。
*歌舞伎は昭和57年3月(2?26日)東京・歌舞伎座(「花を歩めど」から90分)。
*配役=大判事(勘三郎)・久我之助(延若)・定高(歌右衛門)・雛鳥(芝翫)。
[10]昭和61年4月29日 NHK教育テレビ放送(120分)
背山=住大夫・前 清治・後
錦糸
妹山=織大夫(現・綱大夫)・前
団六・後 燕三・琴 燕二郎
*大阪・国立文楽劇場の中継録画。公演は4月5日から20日まで。
*人形=大判事(作十郎)・久我之助(玉女=玉松代役)・定高(文雀)・雛鳥(一暢)・小菊(勘寿)・桔梗(簑太郎)。
[11]平成7年10月12日 NHK−BS放送「文楽と歌舞伎でみる妹背山婦女庭訓」(165分)
大判事=織大夫(現・綱大夫)・清治
久我之助=呂大夫・清介
定高=住大夫・燕三 雛鳥=嶋大夫・錦弥(現・錦糸)・琴
燕二郎
*大阪・国立文楽劇場の中継録画。公演は平成6年4月2日から24日まで。
*人形=大判事(作十郎)・久我之助(玉女)・定高(文雀)・雛鳥(一暢)・小菊(玉英)・桔梗(簑二郎)。
*「山」の前に「太宰館の段」(英大夫・清友)が付く。
[番外]
大判事=津大夫・久我之助=織大夫(現・綱大夫)・寛治
定高=綱大夫・雛鳥=南部大夫・弥七・琴
団六
*キングレコード(LP盤2枚4面)
*初回プレス(初版)のレコード番号はSKC−1012〜3(1964年)
*再版のレコード番号はKHA−49〜50(1976年)